上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

責任

プライベートもビジネスも、この歳になっても未だに責任を恐れているのだという事実に気がつき、焦りを覚えている。

責任の所在が明確でないことは、日本的大企業の1つの悪い点だと思っている。チームとして、上司が言うがままになんとなく目の前のタスクをこなしているだけで、それなりに日々の問題は解決される(もしくは先送りされる)。何か自分で対処できないことがあれば、他の部署にたらいまわし。そうこうしている間に自分は異動になり、自分の為したことの結果がわからないまま、別のタスクに取り組んでいく。それの繰り返し。

そんなことを十余年繰り返してきた。他企業であれば、数十億円の案件に平気で取り組み、自分の1つのミスが会社やともすれば社会に大きな損害を与える立場で働いているのであろう立場にいる。しかし、今の自分はと言えば、大きな責任の一端は担っているのだろうけれど、それは会社の仕組みにより巧妙に連帯され、自分1人の責任にはならない仕組みになっている。多かれ少なかれ、誰かの肩にもうまく分散されて乗っかっている。

プライベートでも結局面倒くさいこと、責任が発生することからは逃げ続けてきたというのはこれまでにも書いているけれど、そんなことを繰り返しているうちに、未だに責任を負うことに対して恐れを抱いている、ということに最近気が付いた。

何年前かの年始の抱負に「覚悟と責任」と書いたのを覚えているけれど、そのときからたぶん、ぼんやりとその欠陥に気が付いてはいた。けれども、当時から、メンタリティも状況も何も変わっていないように思える。経験が増え、立場が変われば何かが変わるのかと思ったけど、色々なことは少しずつ変わっているにもかかわらず、結局この点については何一つ変わっていないように思える。結局それは、この会社で働き続けている以上、もしかしたら一生抱え続ける悩みなのではないか?とさえ思える。

環境を変えるのが正しい選択なのか、それとも所与の環境の中でそれでも自分が変わるように働きかけられるものなのか。逃れられる環境がある以上、きっと弱い私は逃げ続けることになるのだろう。それを許容してくれる優しい世界にいる、と言うことも出来るかもしれないけれど、果たして、その先に行きつく先はどこになるんだろう?