今年の総括
をやろうとしたけれど、案の定時間がなかった…。前々からちょいちょい書いては書き直し、を繰り返したものの、結局まとまらず。
ということで、箇条書き的に簡潔に言うならば。
- 「個々の仕事のやり方」とかそれ的なものは表層的なものであり、環境に応じて必然的に要求されるものであるため、ここでは不問とする(ある意味できて当然なものであるため)。
- 今年は環境の変化はすごいものがあったので、もちろん先に述べた表層的な部分に関しては大きな変化がある。けれども、あくまでそれは当たり前のこと、社会に放り込まれた者は多かれ少なかれ経験することなので。
- そこに関しては、成長したと感じたこともあればまだまだ足りないと思う部分もたくさんある。ということで、まぁ当たり前なので不問とした。
- けれども、それに対応する自己がどう変わったかは自分自身の問題になり、それを振り返るということは悪いことではないと思うのでここで振り返ることにする。
- そのとき、その「表層的な部分」の根底にある、個々の事象を抽象化して共通点などを見ていくような「自己」においては、実はあまり変わっていないのではないかという疑惑がある。
- たぶんその一因として、短いタームで色々な事柄を経験していく中で、まだ経験を積み重ねるだけで、それを評価できるだけの余裕や、比較し評価するために十分な蓄積がない、ということがある、のではないか。
- まぁそれは今はある意味仕方ない部分もあるが、今後は必要になってくるでしょう。半年くらい経ってだいぶ慣れてきた部分もあるので、来年への積み残しとなるでしょう。
- 一方で、アウトプットの要請がないとインプットや変化が起こらない部分もあるので、それもある意味仕方ない部分もあるのかもしれない。まだ強烈に「変わらなければならない」と実感していないのかもしれない。
- けれども、そうであるとするならば、自分に甘いのは事実であるのかもしれない。環境の要請がなくても自分を律するくらいの強さはあってしかるべき。
- なおかつ、環境に対して甘く見ている部分もあるのかもしれない。自分の立場がどのような立場であるのか、自分にどういうことが要求されているのか、を見誤っている可能性がある。その見積もりを誤っているならば正す必要がある。
- 人生これまで築き上げてきたものが有効に働いているのならば良いのだけれど。そういう部分もあるのかもしれないけれど、今のところそれはあまり認めたくない。
- だって満足した部分で歩みが止まるじゃないか。
- 以下続く。
という感じで総括をしていましたが結局うまくまとまりませんでした(笑)。落ち着く論点まで至るまでの時間もなかった。
まぁ言うても、冒頭でも言ったとおり今の時点でなんとかやれている、ということは、それなりになんとかやれているということなのでしょう。ということで、そのことには感謝したいと思います。そのことがベースにあって、上に述べたようなことはそのエクストラな部分としてあるということなのでしょうから。上にも述べたとおり、まだ見積もれるような段階ではないので、ただひたすら、目の前のことを必死でこなしていくのみだと思います。今年の4月以降は、そんな感じで目の前のことをひたすらやっていたらあっという間に過ぎてしまったような気がしますから(笑)。
来年以降もまぁ同じような感じなのかもしれないですけれど。来年は果たしてどう思うことになるのやら。
そういえば「Do」
今年の冒頭に掲げた目標「Do」ですが、まぁ曖昧すぎてなんとでも言えるような感じですね(笑)。Do出来た気もするし、出来ていない気もする。まぁ色々な経験はしましたけれども、「Do」というキーワードに関して、改めて振り返ることは出来ないですね…。
ということで
まとまらないけれど今年の総括はおわり!総括できない1年だった、ということにします。まだ評価は出来ないみたいです。
こういう終わり方でよかったのだろうか…(笑)。