上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

どこか遠いところで

気が付いたら3月が終わっていた。1月に1回くらいは何か書こう、と思っていたが、ここのことを思い出さないまま3月が終わってしまった。

確かに仕事もプライベートも忙しかったが、状況は2月から変わっていない。仕事に関しては、一時期ほどではないにしても違和感を継続して引きずっている。誰のために、何のために働いているのか、全くわからない。プライベートは順調。そのことがせめてもの救い。

世の中では感染症の罹患者数がリバウンドしているものの、世間はもはや気にすることを諦めてしまったようにも見える。我慢の限界を超えたのか。我慢することによるデメリットが我慢することによるメリットを上回ることに気が付いたのか。我々の与り知らぬところで決定された仕組みに振り回された挙句、また、我々の与り知らぬところで、無抵抗に取り上げられた血税をばらまく議論が沸き起こっている。一方ウクライナでは、この時代に起こると思ってもいなかった市街戦の戦争が起こっている。画面の向こうで起こっていることにはリアリティがなく、インターネット上で流れている情報も私の生活とは遠い世界で起こっている出来事のよう。一国の独裁者のせいで、数え切れぬ人の生活が変わっている。どちらも確実に、それは私たちが生きている同じ世界で起きている。身の回りにないだけで。

遠いところで起こっている出来事に、人知れず苦しめられている。自分にとって大切なものって、なんなんでしょうね。身の回りの大切なものを大切なものと思えるようになりたいのだけれど、それすらも純粋に信じてはいけないんでしょうか。このシステムの中で、一体何が信じられるのでしょうか。

最近、全てが馬鹿らしく思えて。頭おかしいよ、みんな。そう思う私がおかしいんでしょうか?