上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

個人演説会にて

今日は所属している(ニュアンス的にはさせられている、といったほうが正しいかもしれない。形上は、あくまで自由意思での所属だけれど。)団体の関係で、某議員候補の参院選の個人演説会に行ってきた。

なんていうか、こんな世界もあるんだな、っていう感想を抱いて帰ってきた。二言目にはネガティブな意見ばかりが出てきそうなので、ここでは具体的な感想は避ける。1つ経験が増え、比較対象となる世界が広がったことは良かったと思う。

醒めた目、っていうとそうなのかもしれない。言葉を並べて人は表現をするけれど、その言葉の選び方、使い方、表し方、どれもがしっくりこなかった。温度感が違うんだろうか。でも、確実にそういう世界はある。それが当たり前のように思われ、行われている世界が。それはそれとしてそういう世界があることは理解できるし、別に否定するつもりもない。そういう人たちがこの国を動かして、それなりに私の環境を守ってくれているのは紛れもない事実なのだろうし。でも、なんだか、私とはとても遠い世界で行われている出来事のように感じてしまう。劇を眺めているような感じで。あるいは、私にも同じことは出来るのだろうか?

最近また身の回りのことにさえ、同じようなことを感じて良くない。程度の違いこそあれ。なんでみんなそんなに前向きに主張が出来るのだろう。なんで自分のしていることを正しいと信じることが出来るのだろう。なんでそんな前に進もうと出来るのだろう。何か前向きに物事に取り組んでいる人が、時々すごく遠く見える。日常的に、自分がしていることにあんまり価値を感じられない(価値を否定しようとしているのは結局は自分なんだろうけれど)からこんなことを思うのかもしれないけれど。私の認知の部分に問題があるのは最近認識はしている。認識しているだけで、改善はしていない。しようとしているかどうかも定かではない。

こんなこと言ってるようだとまだまだ世間様に対する負い目は拭えそうにない。この負い目が拭えなければ、そうそう前にも進めないと思う。たぶんそう感じなくなったとき、気付いたら私は向こう側の世界に立っているんでしょう。そうするとようやく、世間様にも顔向けが出来るし、世間様に望まれた人間になれるような気がする。そんな日が来るのかは知らないけれど。私がそれを望んでいるのかどうかもわからないけれど。