上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

システムのための労働

相変わらず仕事のモチベーションは低調。資本主義の世の中を呪うようになっている。

恐らく、手触り感のない仕事というか、「顧客のために」働いているのではなく、「社内の偉い人のために」「国家機関のために」、もっと言えば、「制度のために」「システムのために」働いているから、まったくもってやる気が起こらないのだと思う。サービス業に就職したはずなのに、私の仕事のその先には顧客はいない。最終的にはつながっている、と社内の偉い人は言うかもしれないが、そんな気は全くしない。

最近読んだこれらの本の影響も、おそらくは多大に受けている。労働が「他人のための」ものから、いつの間にか「システムのための」ものにすり替えられているからこそ、何かがおかしくなっているのだ。結局、その根源は貨幣経済にある、のだと思う。

この世界で生きていくためには、特に子育てをし、それなりのいい生活(と世の中で言われるもの)を送りたいのであれば、そういうシステムのための労働に身をやつして働くしかない。最近巷で「エッセンシャルワーカー」とか、「パーパス経営」だとかいう言葉をよく聞くようになったけれど、そもそも労働って、エッセンシャルなものではなかったのか。パーパスのない労働とは何のための労働なのか。当たり前のことが当たり前でなくなっているからこそ、これらの言葉がさも新しい概念であるかのように世の中に出てきているということなんだろう。

だがしかし、結局この貨幣経済の仕組みの中にいる以上、私はおそらく他の選択肢を取るという道を選べない。人間的な理に反していると心の中で思いながらも、今の立場を手放すことはしがたい。最近出席した結婚式で、新郎側のスピーチに「Human Beingになってください」という言葉があった。残念ながら、今の私の存在は、「Human Being」と呼べるものとは思えない。この疑問から解き放たれるには、結局のところ、ベーシックインカムの実現しかないのでしょうか。

もやもやを抱えたまま、相変わらず日々を過ごしている。今月、入籍する。それだけが、せめてもの救い。