上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

省エネ人間

今から書くことはただの言い訳以外の何物でもないんですけど。

生まれて、物心ついた時から世の中は「省エネ」モードになっていて、なんでもコンパクトであることが好まれる時代を生きてきた。省電力。省スペース。静音。

それが当たり前の時代を生きてきた身からすると、高度経済成長だとか、バブルだとか、そういう時代って、どんなものだったんだろう、というのを考える機会が最近割とあって。特に、アメリカに来てから、やれ世界最速の有人飛行機だとか、超音速旅客機だとか、月に行った宇宙船だとか、そういうのを見るにつけ、今の時代にはない考え方で作られたものなのかな、と思って。世界最速の有人飛行機、SR-71ブラックバードなんて、全体がチタンで覆われている。常温では固体となるオイルを使用する。熱膨張を考慮して通常の温度だと燃料が漏れ出る設計のため、高度3000メートルまで飛んでから専用の給油機で給油する、など、マッハ3という速度だけのために物凄い無駄遣いをしている。たったの2人しか乗れないのに。コンコルドだってそう。アポロだって、ディスカバリーだって。結局、1つの目的のためだけに、物凄いお金と労力がつぎ込まれている。今の時代だったら、「採算性が取れない」「環境負荷が高すぎる」の一言で一蹴でしょう。現に、ここで挙げたものすべて、それが理由で、今は現役から引退している。日本に目を向けてもそうでしょう。今の車だって、電車だって、飛行機だって、なんでも第一に出てくるのは「環境性能」。

最近世の中を賑わせている労働時間管理の問題。行き過ぎたことをするには、ある程度の無茶も必要、って思っている人も、きっと世の中にはいるはず。でも、もはや世の中はそういう世の中ではない。世代に明確な断絶が起きてしまっているのだと思う。

そんな環境で育ってきている「低体温」な人間なものだから、ちょっとそういう「高体温」なことに対する憧憬というか、なんとなく羨ましく思っている気持ちもあって。今更、もはや性格だとかそういうのは変えられないと思うのだけれど、「ゆとり」とか言われている問題の一翼もここが担っていると思うのだよね。なんとなく。隣の芝は青く見えるものなのかもしれないけれど、私には計り知れないものがその辺にありそうだよなぁ、と思って。きっと、産業遺産を見た時に感じるそれと同じようなもの。