上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

表に見せるもの

きれいなブログはまだ続いている。

きれいなブログをつくった利点は結構あって。特に良かった(便利だ)と思っているのが、親への近況報告なんかがここで出来るようになったこと。メールだと面倒だし、かといって何も連絡しないとそれはそれで心配されるし。写真もたくさん載せられるし、きれいなことだけ書いておけば良いから、心配もされないし。多少書くのが面倒くさい時もあるけれど、なんとなく報告がてら、週に1回くらいは書ければ、と思っている。

反動なのか、こっちの古くからあるほうは割と掃きだめみたいになってしまっているけれど。でも、それでいいのだ。もともとSNSだって、あるいは表向きの人間関係だって、ある程度きれいなところばかり見せているもの。きれいじゃないところは、極力見せなくていい。あるいはここにだって見せていない汚い部分だって、きっといっぱいある。ここだって、もちろんある程度形の崩れたものも出てきてはいるけれど、ある程度整形された自分が並べられていることにはきっと変わりがない。

一番最初にブログを始めるときに定義した「ショーケースのような場所」というルール。もう12年前の話だけれど(干支が一巡してしまった)、今になってもそれはそう大して変わるものではないのではないか。お店の性格が違うだけで。SNSなんかはイオンモールみたいに、誰でも気軽に来られてどこにでもあるようなものが売っている場所。きれいなブログはちょっとしたセレクトショップみたいな感じで、きれいに整えられたちょっと小奇麗なものが売っている場所。ここは…最近古本屋みたいな感じになっているんだろうか。どれも、好きな人だけ見に来ればいい。ただ、外に何かを書く以上、そこには読者がある程度頭の中に想定されるべきであるし、そうでないとたぶんここに何かを書く意味もない。こういう古本屋みたいなところは、誰かに対して何かを伝えたい、というのかとそういうのでもなくて、どちらかというと頭の整理的な部分が最近は大きいのかもしれないけれど。

きれいな部分だけを見て私を判断してくれる人が最近は多い。けれども、そうでない部分も含めて私を評価してくれる人がいるならば、それ以上に有難いことはない。ただ、なかなかそれは難しいことだと思っているし、そこには怖さがつきまとう。年を重ねるにつれ、その難しさと怖さがわかるようになってきていて、他人との距離感が離れているようにも感じる。そんな最近。ひとへの見せ方がうまくなりました。

アメリ東海岸時間ではまだ4月1日だけれど、エイプリルフールではありません。そういえば、アメリカではあまりそんな感じはしないけれど、日本では新年度。何年目だ、もう会社に入って。9年目になるのか。2年間コメントはついていないし、もはやここも誰が見ているかわからないけれど(あるいは誰も見ていないのかもしれないけれど)、お店と違って特に運営コストはかからないので、ひっそりと営業を続けていきます。