上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

運と縁とタイミング

世界的な疫病の流行のせいで、相変わらず外出が制限されている日々が続いている。

人生は色々な運と縁とタイミングから成り立っているとすれば、これもきっとその一環なんだろう。社会人生活12年間を、別の会社に所属してずっと東京で暮らしていれば、それはそれで今は全く別の生活になっていたのだろうし、あるいは別の会社に就職して東京とは違う別の場所で生活していたとしてもそれはそれで別の生活になったんだろう。たまたま運と縁とタイミングでアメリカに3年間行くことが出来たけれど、そのタイミングがずれていたら疫病の大流行に海外で直面する羽目になっていたのだろうし、ただそれはそれで大変だっただろうけれど、マイナスなことばかりではなくて人生にプラスに働く可能性もあったのかもしれない。たまたま会社の方針で5年くらい新潟にいたけれど(今は3年に短縮されている)、そのおかげで失うものも多々あったのだろうけれどきっと得るものもあったのだ。結局は我々にできることは、所与の環境下で目の前にあること1つ1つを、自分に出来る最善の方法で処理するしかないのであって、それが良きに働くか悪きに働くかは過ぎ去ってみないとわからないことなのだ。人間万事塞翁が馬

残念ながら、相変わらず、自分としては納得しがたいところを抱えた日々と、納得しがたいところを抱えた人生を生きているけれど、かと言って上に述べたようなことをぼんやりと考えていると、これが悪いかというと、必ずしもそうも言えないんじゃないか、と思ってしまう。現在私の身の回りを取り巻く疫病を含め、思うようにいかないことは多々あってそれは神が与え賜ふ試練なのかもしれんなぁと思うことは出来るけれど、試練を乗り越えた先に果たして明るい未来が待っているかというと、全然そんな明るい未来なんて待っていないのかもしれない。その逆で、試練を乗り越えられなかったとしても、別の明るい未来が待っているかもしれない。なんてひどい世の中でしょう。

繰り返すけれど、結局自分に出来ることは、所与の環境下で目の前にあること1つ1つを、自分に出来る最善の方法で処理するしかないのであって、結果として出てきたものについては、後になってからとやかく言うことは出来るけど変えることは出来ないので、後になってから後悔しないように「ベストを尽くしたのだ」と言えるようにすることなんだと思う。口ではこう言っているけれど、これまでベストを尽くしてきたかというと実はそうではなくて、結局、運と縁とタイミングに任せてきた結果、今まではそれでも何とかなってきたけれど、何とかならなかった(足らなかった)部分が今さらのように露出しているだけなんだろう。自業自得。それはそれでいつか将来、「仕方がないなあ」って思い返せるといいけれど(この世の中には終わりよければ全てよし、という言葉がある)、そこまで良い運と縁とタイミングのもとに今も生きているのでしょうか?この疫病下では、あまりそうも思えなくなってきている‥。

時間は不可逆。今できるベストを尽くしましょう。後悔しないように。