上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

無観客五輪

オリンピックが終わった。

本来なら外国人で溢れていたはずの街中には、いつも通りの日常があるだけ。バブル方式に閉じ込められた画面の向こう側で、画面を通してお祭りが終わってしまった。

きっと、街中が外国人で溢れていたら、内向きな日本人にとっては凄く色々な経験が出来るチャンスだったはずで、それは街中にいる私たちにも全員に平等に訪れていたはずだったのだ。駅で道を聞かれる機会もあったかもしれないし、コンビニのレジでAmazingと言われる機会もあったかもしれない。ホストタウンに選ばれていた街には人の交流と絆が生まれていただろうし、一生に一度の日本に訪れるチャンスをオリンピックに合わせて選んでくれる観光客はきっと多かったのだろうし、その過程で日本人の市井を多くの人が知ってくれたはずなのだ。

それが、感染症による非接触の推奨により、一気に奪われてしまった。

商業的な成功の有無とかそういうのは置いておいて、これはかなりの痛手だったはずだ。結果、残ったのは、変われない古い日本人の体質と、変われない古い日本の組織と、変われない古い日本の雰囲気。もしかしたら、最後の変わるチャンスだったのかもしれないのに、その機会が一気になくなってしまった。感染症が襲い、オリンピックが延期になり、無観客でようやく開催されるまでの間に、嫌というほど「変われない古い日本」を見てきた。

もともと、これはオリンピックに限った話ではなくて、身の回りのあらゆるところを覆いつくした病理だ。それが、感染症と、オリンピックにまつわる一連の騒動の中で、一気に露わになった。身の回りにも同種の話は腐るほどあるし、そういった閉塞感を日々感じている。本当は、オリンピックと、それに伴って日本を訪れてくれた多くの外国の人たちがそういうものを気づかせてくれて、そして変わるためのアイデアをくれるはずだったのに、その機会は奪われてしまった。そのことが、たまらなく悲しい。

果たしてこの先に、内向きなこの国の、内向きのこの空気が変わるだけのこれだけ大きなチャンスが訪れる機会はあるのでしょうか。57年前、東京は大きく変わった。13年前、北京も大きく変わった。これだけの変化をもたらすエネルギーは、外から持ち込まれない限り、果たして日本の中から生まれてくるのでしょうか。