上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

臆病

「臆病」って、人生過ごすうえで結構マイナスに働いていくと思うんですよね。

臆病を保守的とほぼ言い換えてもいいと思うのだけれど、結局保守的だからこそ得られるものもあるのかもしれないけれど、保守的だと得られないものももちろんいっぱいあると思っていて。何かに挑戦しないと得られないものはたくさんあって、好奇心があったとしても、そこで臆病になってしまうと、得られるものも得られなくなってしまう。

今日は割と自分と対極的なところで成功している人たちと食事する機会があって、なんとなくそう思った。もちろん、自分が今ある立場があるのは、自分がこういう臆病で保守的な性格というところに負う部分は大きいというのは自覚している。たぶん、自分自身、保守寄りの側では成功している側に属しているのは間違いないのであって、それはたぶん、隣の芝生は青く見える的な問題だと思うのだ。

でも、自分がそれを受け入れたうえでなお保守的であろうとするならばそれでいいのかもしれないけれど、少なくとも、会社で働くうえではそれはマイナスに働くはず。さらには、たぶん人生でも。そう思ってしまうあたり、やっぱりまだ自分自身保守的であることを完全には受け入れ切れていないんだろうなぁ、と思って。結局青く見えている隣の芝生はやっぱり青くって、もしかしたらこういう風になれるチャンスもあったのかなぁ、とかも思ったりもして。結局たぶん、人生をもう一度やり直したとしても、多かれ少なかれ同じような生活をしているのだと思うけれど。最後はそう思って納得させるのだけれど、どこかでまだ、保守的でない人たちへの憧れが、ある。

チャンスはまだ、目の前にたくさん横たわっている。それは非常に有難いことだと思う。この年になると、結構チャンスって狭まっているものだけれど、幸い、私にはまだチャンスが与えられている。なんか上からみたいで嫌な言い方かもしれないけれど。ただ、臆病になっていては、そのチャンスを活かしきれないのであって。チャンスがチャンスとしてあって、それをしっかりと活かせるようになること。それが当面の目標なのかもしれない。