上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

So What

これまでも何度か書いてきたことだけれど、「誰のために」とか、「何のために」とか、そういうのって人生を送るうえで割と大事な要素だと思っている。これまでもそれに対して疑問を持つことが多かったけれど、最近、さらに日々の生活の中で感じられなくなっている。存在意義、っていうか。

最近朝6時くらいに目が覚めることが多いのだけれど、活動を開始するにはまだ早くって、ベッドの中でもう一度寝ようと試みる。そんなときに、物凄く孤独を感じて、目が冴えてしまう。何のために生きているんだろう、今日今ここで動けなくなっても、特に誰にも気づかれないし、誰にも迷惑をかけることはないのではないか、と、ふと思ってしまう。そう思った瞬間、こんなところで何をしているのだろう、と、急に焦燥感が身を襲う。もちろん、動けなくなったところで、物理的な意味で、職場の人とかに所々の迷惑はかけるのだろうけれど(例えば病院に運ばなければならない、とか、そういう類の)、「手間が増える」という意味でのマイナスの意味での迷惑だけで、別に誰も困ることはないんじゃなかろうか。

仕事が重要とか、そういうのがあればまた日々の活力にもなるのだろうけれど、そこもちょっと今、なんとなく停滞している、というか。あまり、そこに活力を見出すことは出来ていない。私生活はいわんや。

自分の中だけで生活が閉じていて、別に、外に対して開いていない。たぶん、それがすべてなんだろうな、と思う。必要とされている感じって、人生の中に活力を生み出すうえで割と大事なことだと思う。もちろん、つらいこともたくさんあるかもしれないけれど、それも必要とされているからであって、誰にも見向きもされない、っていうのは、きっとすごい怖いことなんだと思う。幸いにも、まだそういう経験はないけれど。

海の向こうの日本では、これまで通りにたくさんの友人たちが普段通りの生活を送っている。それぞれがそれぞれなりの次の一歩を踏み出している。その中で、家族を持つ、という選択をしている人が増えている。渡米してすぐに誕生日を迎えて、生活を作ったり出張が重なったりでそれなりに忙しい日々が続いていて、30歳になったのだな、という実感があまりなかったけれど、少し落ち着いて、急にそれを感じだした。渡米する直前に会った先輩、物凄く焦っていたけれど、なんとなく、その気持ちもわかる気がする。

なんとかしよう、とは思っていて、なんとかしよう、なりに少しずつ動いてはいるのだけれど。努力が足りないのだろうか。覚悟が足りないのだろうか。たぶん、何らかの形で、甘いっていうことなんでしょうね。30前後って、おそらく、人生でもかなり大事な時なのだと思うのだけれど…。