上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

配られたカード

なんとなく思ってたのと違う方向に行っている、みたいなことを前に書いた。

でもよく考えると必ずしも私の人生は思った通りのことばかりでもなくて、進学先の決定にだって、サークルの決定にだって、就職先の決定にだって色々と自分の意志と実力以外の運要素も絡んでいるし、アメリカに行くという選択も自分自身の意志とは違うところで決まったものだった。まあでもそれなりにいい経験になったと思ってはいるので、これから先もまあなんとかなるだろう、と前向きに鷹揚に構えることも必要なのかもしれない。配られたカードは、いつだって良かったのだ。決めるときはいつもどこかでは「えいやあ」でどれかには決めなければならない。

決めた先をどう良いものにしていくか、ということを考えたほうが幸せになる、というはこれまでの経験でも考えてきたことなのではないか。所与の環境下で、与えられたカードの中で最善を尽くすこと。もちろん、枠を決める自由度はある程度自分の手にあるけれど(だから思い悩む)、一度枠を決めてしまえば、あとはその枠の中でいかに泳ぐか、ということ。なんか最近の風潮では益々自分の意志に焦点があてられるようになってきていて、「やりたいこと」崇拝の風潮は一層高まっているように見えるけれど、そうではないなかでもどうするか、というのを考えてきたのがこれまでの自分だったのではなかったのか。

転職の自由度も高まっているし、世の中のステレオタイプみたいなものはどんどん崩れていて、簡単に枠が変えられる時代になってきている。ある意味、カードを全部捨ててまた引き直す、みたいなことも簡単に出来る世の中になってきている、と思う。自分の意志で色々決められるようになっているのはとても良いことなのだろうけれど、だからこそ、自由には選択のプレッシャーも伴うものなのだよ、ということを最近感じている。選択肢が多い、ということはそれだけ悩みやすいということなのだ。

大変な世の中になってきたものだなあ。