上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

そのあと

17時から予定通り打ち合わせして、胃が痛くなって、懇親会と称して飲んで帰ってきて、談話室でしばらく同期とくっちゃべって、部屋に帰って無意味にパソコン開いて、今ここ。明日の起床遅延だけしないようにしないと。

世の中に無駄なことはない、と言う意見があり、それを私も支持していますが、昨日寝る前に思ったことは、世の中に無駄なことはない反面、世の中に有益なものはないという意見もまた真なりではないのかという考え方であります。これも、見方によっては、確かに納得は出来る。個人的に、有益無益などというものは全て価値判断の問題であり、価値というものは各々の個人が恣意的に決定するものであると考えているため、どちらも真ではないかと思うのです。結局のところ、その時の心理状態などによって、どちらに振れるかが決定してしまうことが多いわけですが、そういった心理的な部分を上手くコントロールして、割と中立的な視点(世の中的に)を持てば、この見方もまた変わってくるのかなとも思った次第です。経験則的に。

結局、このあたりを上手くコントロールして、結果的に「社会が要請するような様式の中で」最善の結果が出せるように価値判断を与えていくことがもし可能なのならば、人間として社会において生きやすいのではないかと考えるわけですね。考え方によっては、非常に危険な考え方ともいえるけれども。仮に全体主義みたいなものが目の前に現れたときに、それに対して果たしてどう対峙するのか。まぁ本人がいいと言えばそれでいいのかもしれないけれど、その辺は微妙なバランス、もしくは意志の持ちようが求められますが。

あーもう、何が正しくて何が一番良いのかなんて、結局わからないものですね。郷に入っては郷に従え。空気を読みながら、周囲の要請を的確に汲み取りつつ自分に出来る最大限のことをしながら生きていこうと思います。言うのは簡単だけどね。やるのは難しい。別に何があったわけじゃないけれど、社会の中で生きる以上、そういう意識を頭の片隅においておくことは悪いことではないと思いました。

とっとと風呂はいって寝よ。おやすみなさい。