上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

仕方なくないでしょ。

最近いろんなことを「仕方ねえな」って思うようになってて、それがすごく良くないと思った。

仕方ない、って思った時点で、思考が停止してしまう。その状態を改善しようとしなくなる。確かに面倒事を考えなくなるから自分的には精神衛生上は楽になるんだけど、でもそれでいいの、って話。仕方ない、って言って諦めてしまうのは、責任を誰かに転嫁する行為であって、例えば周りの環境だとか、タイミングだとか、相手だとか、そういったもののせいにしてしまって、自分の非を考えないことである。

確かにどう考えてみても致し方ない、本当に「仕方がない」ことっていうのもあるけれど、それにしても、何か別のやり方を考えることによって別の解決策を提示することが出来ることもある。Aという案件は現在の状況ではムリですね。仕方がないですね。で終わってしまうのではなく、Aは無理ですが、そこまでいかないまでもBという解決策を提示することは出来ますよ。という方向に持っていくのが筋なのではないか。これは大学時代に結構考えていたことだけど。「仕方がない」っていう言葉は、その試みを一瞬にして無に帰する危険なワードなのである。

無論、自分が努力していないだけなのに、周りのせいにして「いや仕方ないよね」って言ってるのはただのサボりだけど。周りのせいなんて、しようと思えばいくらでも出来るからね。

この考え方が問題だな、と思うのは、もちろん自分の成長に結びつかない、っていうのもそうなんだけど、自分の規範に照らし合わせて「仕方ないな」って思ったことが、それが他人の規範と一致するとは限らない、ということである。得てして仕事中にそういう風に感じることが多い。会社の考え方に染まってきている状態で、色々会社の状況だとか捉え方だとかを踏まえたうえで「これは仕方ないな」って判断したとしても、必ずしも会社外の人がそう感じるとは限らない。周囲の期待と内部の実情は確かに違っているけれど、そこに対して「仕方ない」って思ってしまうと、その差はいつまで経っても埋まらないのである。改善の余地がない。そう思った時点で会社は終わるんじゃないの、ってところ。少しでも、周りの状況に合わせていくことでなんらかの形で変わっていくのである。

なんとなく今自分の周りにはこういう「○○だから仕方ない」的な責任転嫁の思考が強いように感じているのだけれど、それを自分に照らし合わせた時に、同じように考えてしまうようになっている自分がいて、これは良くない、と思った。「震災だから仕方ない」「節電だから仕方ない」じゃなくって、震災だけど別に普通にできるじゃん。節電でもやりようによっていくらでも対処出来るじゃん。って思って、出来る限りのことをするしかないのだな、と思う。時には本当に「仕方ない」と思って自分を赦してやるのも必要だけど(ガス抜き的な意味でね)、ちょっとそっち側に振れすぎている現状はどうかなと思ったのだ。

仕方なくないじゃん。そう思って、今一度、狭まっていた自分の行動範囲を広げてみようと思います。周りのせいにしてちゃダメだよ。