上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

異世界だけど異世界なりになんとなく平穏な日常

前向きな言葉ばかり書いたり口にしたりしていると前向きになる、というけれど、あんまりその言葉は信用していない。

ある程度身の回りのものが揃って、ライフラインなどのセットアップが済んで、生活が一段落して、仕事も今はそこまで忙しくなくて、という今だからこそ、割と余裕がある状況だからこその束の間の安定。いつだって、過去を振り返るとそうだったでしょう。やすやすとは騙されない、不安定は常に後ろに隙をうかがいながらついてきている。隙あらば、大口を開けて飲み込まれてしまう。そんな恐怖が常に頭の片隅にはある。

アメリカに来たからといって、世界各地でテロが頻発しているからといって、職場の人以外と特に話していないからといって、特にホームシックにはなっていない。もともと、ドライな人間なんでしょう。テロの恐怖はおそらく常に隣り合わせ。スリやひったくり、恐喝、詐欺みたいな細かな犯罪も含めれば、その恐怖は常に身の回りにつきまとっている。ただ、元が能天気な性格なのか、ぼんやりしているだけなのか、実際自分の身で体験するまでは、その恐怖を本当の意味で感じることはないのだと思う。これまでが順調に行き過ぎた。温室の中で、特にトラブルもなく、ぬくぬくと育ってしまった。周りにものを与えられながら、特に自分で何かを獲得しようとすることもなく、気づいたら身の回りには色々なものがあった。そのこと自体は有難いことだと思っているし、感謝もしているけれど、そのせいできっと、のうのうとしているというか、どこか抜けているというか、なんとなく、そんな部分が自分にはあると思いながら、日々を過ごしている。そういう風に人からは思われているんだろうなぁ、と思いながら、日々を過ごしている。もはや、変えられるものでもないけれど。

それが自分なのだから、その自分と付き合って生きていくしかない。嫌なところはたくさんある。変えたいと思うところもたくさんある。けれど、その結果が今この形で、この形の自分が持っているものもそれなりにはある。そのそれなりにしがみついて、生きていくしかないのだから、その通りに生きていくしかないんじゃないでしょうか。今あるものをしっかりと認識して、それをちゃんとした形に磨き上げられるように。その努力くらいは、幸運にも与えられているのだったら、せめてするべきなのではないでしょうか。