上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

働く意味

未だに、働くことの意味だとか、何のために働くのだとか、そういうことを考えている。もう間もなく13年が経とうとしているのにね。未だに。

最近会社で内向きの論理でしか仕事をしていなくて、誰のための仕事であるかを見失いかけている。率直に言って、仕事が面白くない。日経ビジネスの連載を読んだりして気を紛らわせているものの、イマイチ調子は良くない。会社からの評価が悪いかというと決してそんなことはなくて、それなりの評価を受けているほうだとは思うけれど、自分の生み出しているバリューを考えた時、それが何のためになっているかが一向に見えてこないところにおそらくもやもやの原因があるのだと思う。一方で最近課題付与が多く、やることは多い。年末も有休を消化しながら、持ち帰った仕事にぽつぽつと取り組んでいる。

7年ほど前、病欠に入った先輩の埋め合わせで休日勤務も含めて月に100時間くらい超過勤務をしたことがある。土曜出勤をしていたある日、2人で会社にいたときにふと上司からかけられた「なんでそんなに働けるの?」という問いかけの意味を未だに考えている。あの時は、おそらく「他人に迷惑をかけない」ということが全てだったのだと思うけれど、結局未だにその答えは出ていない。働くことの意味が、未だに見つけられていない。でも、それはおそらく、生きることの意味と一緒で、いつまで経っても見つからないものなのかもしれない。

巨大な官僚制組織で働いているせいも確実にあるのだけれど、かと言って、代わりにどうしてもやりたい何かがあるかというとそんなわけでもない。結局は、このもやもやを一生抱えたまま、生活を紡ぎ続けるしかないのだろうか。転職すれば、何かは変わるのだろうか。そもそも、選んだ職業や職種が間違っていたのだろうか。もともと、文理選択を誤ったのだろうか。

周りの目を意識して、「どうあるべき」ということにばかりかかずらって生きているからなのだろうか。もう少し、自分のしたいことをしたいようにやればいいのだろうか。最近、会社でしている作業という作業が、上司の意向を的確に探り、それをどのように形にするかということの上にしか成り立っていないようにも思う。そこには私の意志はあるように見えて、実はなんの魂もこもっていない、ただの組織を円滑に回すための作業に過ぎないように思える。それでは確かに面白いはずはなくて、ただただ埋まっている化石を掘り出す作業を延々とこなしているだけで、新しいものはそこから1つも生まれてこない。割と、今見渡す限り目につく会社の仕事が、そのような類の仕事に見える。

そんな停滞感、閉塞感を抱えた年末。私生活では年末になってようやく明るい兆しが見えているのが、せめてもの救いか。