上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

経験と回り道

鈍色の空の日が増えてきました。今日も一瞬だけ晴れたけど、朝からどんよりとした曇り空。風も強くなってきて、朝の気温は1桁。コートを引っ張り出してきました。冬はもう、すぐそこまで近づいています。

今の職場にいるのも、来週までとなりました。来週から約3か月の長期研修。それを無事終えることが出来れば、3年目にして5職場目となる職場への転勤となります。おそらくは、現業機関で一兵卒として働く最後の機会。これは会社の方針として、現場を経験しなければ何も言えないから、現場もしっかりと経験して来い、という方針があるから。次職場での実地訓練も合わせて約1年間、国家資格取得へ向けた訓練の日々が続きます。とても長い研修期間だけれども、それだけ職責に重みがあるということ。そこで従事する中でしか得られないことがどんなものか、今の段階では果たしてわからないけれど、経験として肌で感じ、蓄積してこようと思います。

先日、会計士監査の対応をする機会がありました。相手先の要望に応じて、支社内の各該当箇所に取り次ぎを行う役割。おそらく同じくらいの年代なのかな、という若い会計士の方が監査に来ていました。おそらくは地方支社ということで、経験の場として若い人たちが送り込まれる場なのかな、と思ったのだけれど。なんとなく、今の自分と対比して考えてみたりとかして。

そのとき、ぼんやりと考えていたのが、現場を持つ会社と現場を持たない会社、の違い。頭だけ持っている会社と、頭から手足まで全てを持っている会社との違い、とも言える。世の中には様々な会社があるけれど、人体でいう脳みそだけで生きている会社もあれば(別の会社にアイデアを提供することで利益を得る会社)、脳みそから手足まで全て使って生きている会社もあります(現場が実際に動くことで利益を創出する会社)。会計士の仕事というのは、前者に近い仕事なのだなぁ、ということをちょっと思いました。そして、私が所属しているのは後者の会社であり、その中で、今私がいる状況というのは、今一瞬だけ、頭の方に近いところに来ていて、来週からまた手足として働くことになる、というところ。果たして、頭として働く人に、手足の経験は必要なのか否か。その議論が、よく交わされることがあります。

「無駄な経験というのは1つもない」という言葉を耳にすることがあります。私も昔から、結構その考えに近いものを持っていました。しかし、その経験に優劣がつけられるのかはわからないけれど、「無駄な経験」というか、「しなくてもいい経験」というのもあるのじゃないか、という考え方も最近は正しいと思うようになっています。これは決してネガティブに捉えているのではなくて、色々知ったほうが世界は広がるのは間違いないけれど、効率とかそういうものを考えたら、無駄な経験をして回り道をしているよりは、単純にまっすぐ進んだ方が、より遠くまで行けるのではないか、ということ。それはそれで一理ある答えであり、実際にそうしている人たち(相対的に見て)が世の中にいるということも頭に置いておく必要があるのだと思います。同じ速さで歩いていても、進んだ距離には差がついている。「無駄な経験というのは1つもない」という言葉をある種の免罪符のようにして、ただめくらめっぽうに歩いてしまってはダメだ、ということを思っていて、経験は多いに越したことはないけれど、結果につながるよう、効果的に活用しなければならない。その点に留意する必要があるのだと思います。

先日、「今何か事を起こしたら、新聞に載る自分の名前のあとには(25)ってつくんだな」となんとなく思いました。25って、もうあんまり言い訳も出来ない立派な年齢。少なくとも、昔の自分はそう思っていました。世の中にたくさんいる同じ「25歳」の人たちを見渡してみると、それぞれが、それぞれの生き方をしています。会社でバリバリ活躍している人もいれば、結婚する人も出てきています。時に、そんな25歳を見て、焦りを覚えることもあります。今生きているこの私が25歳という年齢にそぐうものなのか。数ある選択を繰り返してきた結果の今の自分が果たしてきちんとした25歳になっているのか。もう後戻りはできないけれど、なんとなく、自分で納得できるような25歳になっていたいな、なっていなければならないな、と思います。来週からの1年間も、また環境は変わるけれど、なんとなく、そんな気持ちを忘れずに生きていかなければならないと思っています。1年を、それこそ「無駄に」積み重ねることのないようにね。