上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

まとも

普段自分のことをまともじゃないと思いつつ、どこかでまともでありたいと思いながら生きているのだけれども、ごくまれに私がまともだと思う人から、私はまともだと思う、という評価をもらうことがあって、そういう時に私はちょっと救われる。

私がまともなのは、私がまともではないということを知っている、ということにおいてのみである。村上春樹も小説の中でそんなことを言わせていた。もし私がまともだったら今頃こんなところでこんなことはしていないはずである。事実のみがそれを物語る。悲しい現実をなかなか受け入れられずに、でも、なんとか正気を保ったまま、それすらも危ういけれど、ここまでなんとか生きてきた。そう思いながらこの世を生き続けるなんて、狂気の沙汰だ、と思うこともある。それでも。

いつか、まともになれるのでしょうか。いつか。その希望があると信じて。