目標がないっていうことについてちょっと補足的に
理由は色々あるんですが、ちょっと今風呂入りながら整理しようとしてみた。
- 前々から明確で具体的な目標を持たない傾向にあった
- なぜなら何か明確な目標なり将来像を持ったときに、失敗して傷つくのが怖かったから(まぁ他にもあるけど)
- 最近その傾向が強い、というか、それが最早、素になってしまっている
- というわけで将来的なビジョンなりみたいなのを描かなく(描けなく)なってしまっている
- だとすると今までどおり、抽象的な目標みたいなのはどうなのか
- ところが最近若干こういう抽象論でさえ「鈍く」なってきている感覚がある
- それは時間と余裕の問題から昔ほどそこに頭を割けなくなってきているのがあるということとか
- 最近周りにこういう空中戦が出来る人がいなくて全然空中戦をしていない、ということのせいとかもあるとは思うけれど
- そういう抽象論を垂れる人間はめんどくさいから嫌われるという意識が頭の片隅にあったためそういう人間からの脱却を図ろうとしてきた節があって
- そこからの脱却の試みがある意味結実してきたということは若干いえるのかもしれない
- いわゆる「真っ当」に近づいているといえるかもしれない、「バランス」は良くなってきているのかもしれない
- その方が本人的に生きやすいのは事実である、実際最近結構前より生きやすくはなっていると思う
- ただその一方で失われてしまったものというのももちろんあり、それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが
- 面倒なことはあまり考えなくなって即物的に考えるようになってきている面は多少なりともあると思う
- まぁぶっちゃければ面倒くさがりがさらに面倒くさがりになったということだな
- 以下続く
最近この辺でいっつも思考停止する。どうでもいいことをあまり深く考えなくなったという点ではバランスは良くなったし、考えなければならない場面ではたぶん状況を読みつつ最低限のレベルまでは考えているはずなので(あくまでも「はず」だけど)欠点をフォローして美点は消さないでおく、という理想系に近いのかもしれない。けれど、一方で美点をも消してしまっているのではないかという感も拭えない。昔の言葉を借りれば「安定」はしているのだろうし、「バランス」も良くなっているはずなのだけれど。なんか気になることがあっても、曖昧で適当なまま「まぁいいや」ってほん投げて忘れ去ってしまうことが多い。投げるタイミングは前よりも多分早くなっている。良い意味でも悪い意味でも適当になってきた気がする。
まぁ、面倒なことを熟考するだけの時間がないってことなのかな。去年までならもうちょっと突き詰めていこうとして、何度も読み返しながら推敲しては書きなおして、を繰り返すのだろうけれど、今日は明日も早いのでこの辺で思考停止して寝ちゃうし。掘り下げればもう少し色々出てくるのかもしれないけれど、もう寝ます。あくまで、仕事がしっかり出来る環境を整えるのが最優先なので。それが、バランスってやつだ。
ちょっとまだ最適解ではないのかもしれないけれど(たまに首をひねりたくなる、今日も風呂の中で一人で首をひねっていた)、これはこれとして最近の自分なんですね、きっと。
ということで、この辺で。おやすみなさい。