上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

今日は年休で久々に家にいるのでたまには

なんだか最近、完全に愚痴を言うだけの場になっちゃってますね(笑)。ここ。

たぶん最近もう新しいことを考えなくなっていて、自分の中での悩みだとか不満だとかっていうのが2巡も3巡もしていて(あるいはもう100巡くらいしているんじゃないかというのも)新しい答えが出ないからだと思う。今更誰に言っても変わらないし、結局人に伝えるようなものでもないんだろうな、とも思うし。結局同じような悩みが化粧だけちょこっと変えて入れ代わり立ち代わり現れているみたいなもので、答えは見えていて、でも先にも進めなくて、最近進もうともしていなくて、みたいな感じ。具体化された形が違っているだけの話で、抽象化した悩みは結局一緒。だから敢えて書いて整理するまでもないかな、みたいな。適当に目の前に出てきた料理をつまみ食いはしているけれど、特に新しい料理を作ろうともしていなくて、とりあえず腹だけ満たされていればいいや、みたいな。料理っていう目の前の形は違えども、結局腹の中に入っちゃえば一緒でしょ、みたいな。

結局そんなことを積み重ねて、現状を変えるべきなんだろう、っていうのはわかっているんだけど、結局大して変わらないでしょ、って思ってしまって、変えようともしていなくて、ただただ現状を漫然と過ごしているだけになっている。行き当たりばったり、というか。身の回りの割とほとんどのことに対して、「だから何なの」って思ってしまって。泥沼に腰半分まで浸かっていて、そこから抜け出るにはそれなりの労力がいるんだろうし、かといって今のままでも沈んでいくわけではないからとりあえずいいかな、みたいな。目の覚めるような刺激的な出来事ってきっとそこらじゅうに転がっているんだろうけれど、それを求めに行っていない自分のせいなのかもしれないし、身の回りにあふれる情報に中途半端に満たされて不感症になっているのかもしれないし。変に賢くなってしまっているから、世界を広げようとせずに、今知っているだけの世界の中で漫然と過ごすことに安住してしまっているんだろうし。こないだ博報堂の人が書いてた「さとり世代」っていう本を読んで、諸手を挙げて大絶賛するわけでもないけれど、なんとなく共感できるところもいっぱいあったりもして。「わかったふり」してるだけなんだろうね。そこにイエスと言う自分もいるし、ノーと言いたい自分もいるし。

27、もうすぐ28にもなろうとしているのに、未だにこんなこと言っててどうするの、って気もするけれど。きっと、この性格、あるいは生活のツケが回ってくるのって、きっと10年後20年後で、その時に気付いてももうとっくに遅いんだろうなー。ほんと、腐った大人になっていますね。どうしようもない。