上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

引継。

とりあえずまたいつもの黒々とした平凡な頭に戻った。また明日から平凡な日常が始まる予定。

こういった特殊な時の感情というものは、得てして時が経つにつれ忘れられ歪められていくので、その瞬間に考えていたことを文章の形にしてそのまま残しておいたほうが良いと思う。そう思って、最近普段は起きていない時間だけれども、多少無理してでもキーボードをパチパチ叩くことにしている。少ない時間では言うことが出来なかったこともたくさんあるし(そして考えているような微妙なニュアンスが伝わりにくい)、言い足りなかったことも記しておかなければならない気がしている。そう考えているうちにも、頭の中に浮かんでは消え、もう戻っては来ない思考がいくつもあるのだけれど。

率直に。

この1年を振り返ると、長かった、というのが1つの感想だと思う。

今日は、前回の引継ぎから1年経った、というのを実感しようと思って、ちょうど1年前と同じ髪型と格好をしていったのだけれど、本当にあれが1年前のことだったとは思えないのが本音。実際には3年くらい経っているのかもしれない。なんだかんだ言って、この1年は本当に長かった。本当に色々なことがあった。思っている以上に、実際的な密度は濃かったのかもしれない(自分は密度が薄いと日々思っていたけれど。それに関しては後述)。ただ、良いこと悪いことはあったのかもしれないけれど、それらは一概に価値をそう言いきれるわけではなくて、それらすべてがつながった状態で今に生きているのだと思う(人間万事塞翁が馬、という言葉が多少それに近い)。悪いことは必ずしも悪いわけではなく(そのときはそう思うけれど)、必ず何か別の形で自分に立ち返ってくる。経験としてでもあるし、反省としてでもあるし。確かにこの1年、色々なことがあったけれど(本当に色々なことがあった)、今になってみると、1年前は何も知らなかったのだな、というのが率直な感想かもしれない。本当に。この1年の間に身につけたものはおそらくたくさんある。それが良いのか悪いのかとか、知覚出来ているかいないかはまた別問題として。多分、とにもかくにも、そんな1年だったのだろう、と思う。ただ、暑さは喉元を過ぎれば忘れるのであって、思い出は美化されてラッピングされていく。今となっては、忘れ去ってしまった思い出もたくさんあるし、ぼんやりとした形でしか思い出せないところも多々あるのだけれど、今は、「終わった」という事実だけが、眼前にぼんやりと浮かんでいるような感じなのかもしれない。

1年というスパンの中で

そういった中で、自分がこの1年間に何をしてこれたのか、ということを考えると、本当に反省は尽きない。1年間、という与えられた有限の時間の中で(伸ばそうと思えば伸ばすことも出来たけれど)、いったい自分はどれだけのことをしてこれたのだろうか。Bestを尽くしたと言い切ることは残念ながら出来ない。どこかに妥協は存在している。自分の中の密度は結局、最後までフルに満たしきることは出来なかった気がする。もっと、やろうと思えば出来たことはいくらでもあったのだ、おそらく。1年の最初に自分が修正すべきだと思っていた問題点が、結局1年間を通じて最後まで修正できなかったところも多い*1。実際に、そのせいで本当にたくさんの人に迷惑をかけていたのだと思う(そして、今でも迷惑をかけているのだと思う)。さらには、自分の抱えている問題点のみならず、サークルとして存在している問題にも、把握していながら、結局自分の代で解決できないままに送ってしまった問題もあるのが心残りだ。せめて、自分の代では最後まで納得できる形で終えてから送り出したかった。そういった意味では、また自分の限界(それも、やりきってしまったという限界なのではなく、自分にはここまでしか結局出来ないのか、という程度の限界)に改めて気づいて、口惜しい気になる。それを克服したことは今まで一度もなかったけれど。そして今回も、また同じことを重ねている。結局自分は自分なのであって、部分部分では成長の局所は見られても、その大枠において限界を打ち破ることは、最後まで出来なかった。立ち返る部分は、結局同じだった。

追い続けた背中は結局、最後まで追いつけない背中だった。

恵まれた環境

けれども、そういった状況の中でも一番思うのが、やはり自分は恵まれているという意識だ。周りの人、環境、全てに恵まれているのだと思わざるを得ない。本当に。そればかりは、本当に感謝してもしきれないくらいの価値があるのだと思う。感謝が尽きない。そこでもまた、上と同様に、そこで与えられている恵まれた環境をフルに活かしきれた自信がなくって、こんな自分が、こんなに恵まれていて良いのだろうかという思いが消えないのだけれど。そこに対して、自分は一体どれだけのものを返せたのだろうか。本当にこんな奴が、こんな恵まれた状況に置かれていて良いのか。もっとふさわしい人間はいるのだろうし、それでもその位置に自分がいるということは、そのために自分が果たせるべき役割は最大限果たさなければならないのだ。与えられた環境にふさわしい人間になるために。それが、しばしば僕が思ってきたことだった。

"One for All"という言葉がある。僕はしばしばその意味を履き違えてしまうのだけれど、そこにこのような意識が挟み込まれているのだと思う。自分が恵まれた環境を与えられているのだから、そこで自分には何が出来るのか。それをしっかりと考えて、それを最大限に還元していくことが必要なのだと。ただ、この1年を振り返ってきたときに、自分が還元できたものはなんだったのだろうか。その「最大限」を本当に果たしきれた自信が全くないのだ。残念ながら、自分自身の弱さに甘え、享受する一方でそれに甘んじてしまっていた部分は大いにあるのだと思う。そして、自分のエゴイズムを押し通し、多くの人に迷惑をかけた(これだけは本当に計り知れない)。本当は、どこかで妥協点を探らなければ、そこに自分が存在していた意味は無くなってしまう。そうすると本当に報われないので、やはりどこかではそのような意味での還元が果たせていた、と捉えることも必要なのかもしれない。そして、実際にそうであってほしい(推測の域を出ないけれど)。それが、今日も言ったのだけれど、サークルという場の中で活動していく上で、そこで活動している人たちの間にこの1年を通じて何か思い出が出来たりとか、仲が深まったりだとか、経験を得たとか、そういったことが出来たと思った人がいてくれる、という部分なのだと自分では思っている。もしそうやって思ってくれた人がいたのならば、それは自分の果たすべき役割を果たせた、ということなのだ、と。1つの歯車として、他人の人生の一助になれれば。本当はそう思っている。そう信じたい。けれども、それを漫然と受け入れてしまうのは傲慢であるし、やはり自分がそのために最大限の努力を果たしたとは言い切れないので、得てして、安易に満足しがちではあるけれど、本当の意味では自分の果たすべき役割は、まだ果たしきれていないのだろう。その点では、これからも改善の余地は十分あるので、また精進していかなければならない。

"Whenever you feel like criticizing anyone, just remember that all the people in this world haven't had the advantages that you've had."(THE GREAT GATSBY)

まとめ…にならないまとめ。

小難しいことを書いてきたけれど、やっぱりうまくまとまらないみたいだ。本当に文章能力がない(笑)。ただ、本当に自分が恵まれている、ということと、今までここまで自分をつれてきてくれた全ての人たちへの最大限の感謝の気持ちは、ここには到底記すことの出来ないものがある。それだけは、書いておきたい。本当にありがとうございました。

これから、時間をかけてゆっくりと、今までやってきたことがなんだったのか、ということを整理できていくのだと思う。ことあるごとに。

最後に

直接メールくださった方、全員に返信が滞っていて申し訳ありません。今日はまだ対応できるだけの余裕がないので、明日ゆっくりと色々と考えてから徐々に返していこうと思っています。申し訳ありません。とりあえず読み返してみたのだけれど、相変わらずとても読みにくい文章である上に全然まとまっていない文章だし、考えていることも全然表現できていそうな気はしないのだけれど(しかも結論も若干違うものになっている気もする)、とりあえず今日はこんなところで寝ようかな、と思います…。今日という1日が終わったことを実感できるのは、これからなんだろうな、と思いながら。

おやすみなさい。ありがとうございました。

*1:卑近な例を1つ挙げると、自分には自分の価値基準を押し付けてしまう部分というのがどうしてもあって、わかってはいるのだけれど、それを抑えきれない。けれども、それは結局最後まで修正できなかった。おそらく、そのせいで不快な感情を持ってしまった人が数多くいるのだと思う。直そうとはしているのだけれど、結局直すことが出来ないままに1年は過ぎ去ってしまった。