上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

モラルとかそのへん

楽しい思い出づくりの一助を担えるというのは、凄く光栄な仕事なのだな、と思った。

たとえそれが私にとっては同じような日常の仕事のうちのたった1日かもしれないけれど、相手にとってはそれが特別な1日になるということもある。それなりの力でもそこそこに仕事は出来るけれども、常に全力で相手に応対することが、期待して来てくれた人に対して出来る精一杯のことなのかな、とも思う。こないだお客さまに戴いた一言からそんなことを思った。

これは当たり前のことかもしれないけれど、こんな当たり前のことでさえ最近当たり前に思えなくなっているふしがある。仕事をマジメにやるのは当たり前のこと、と思うかもしれないけれど、それが当たり前でない場所もある。最低限のことだけやっていても同じ金がもらえるなら最低限のことだけやる人が増えるのも当然のことだし、それが仕組みである以上、その人のことを否定することは出来ない。こういうのってある種モラルの問題かもしれないけれど、モラルなんて本当に脆くて机上の空論みたいなもんだ。モラルを保っている人のモチベーションはどこにあるんだろう、と最近不思議になるくらい(笑)。

世の中には本当に色々な人がいる。色々な考え方がある。表面的には輝かしいイメージに彩られた世界が見えていることだってあるかもしれないけれど、実態は綺麗な話ばかりで成り立っているわけではない。世の中に溢れているほとんどの業界のほとんどの仕事を担っているのが「人」である以上、それは当然のことだ。最近、基本的にあまり人に期待はしていない。あまり信じてもいない。けれども、時に、想像もつかないようなこともしてくれる。人って、そんなもんだと思う。

今まで自分が見てきた世界っていうのは本当にごく限られた世界であり、今まで自分が捉えてきた世界っていうのも同様に限られた世界だ。ある種の特殊な世界で生きてきた。それは間違いがない。ただ、今自分がいる世界も特殊なのかもしれないし、世の中の「普通」っていうのがどこにあるかはわからない。結局そうやって世の中に相対しながら、手に入れた限られた情報の中からおぼろげながらにイメージを作っていくしかない。

自分自身、結構環境に左右されやすい人間だから、周りの環境にうまく引っ張られているうちはいいけれど、周りの環境に乱されてしまうこともある。そんな中で、自分が信じるところをどうやって見つけ出していけばいいのか、真価が問われるのだと思う。

自分が正しいと思うことが他人にとっても正しいとも限らないしね。基本的に、自分が正しいと思うことを他人に強制することは出来ない、と思っている。考え方なんて人それぞれあって当然だもの。どれが正しいかなんて断定は出来ない。けれど、会社という場所を良くするためには、時には強制をしなければならないこともある。そんな中、どこに正当性を持たせるか、ということ。そこに揺らぎがある以上、強い論拠にならないからね。倫理とかモラルっていうのは、今の時代もはや正当性にはなりえないんだろうな。

ともかく、自分が「正しい」と思えるものをそれなりに形作っていきたいものです。揺らぎのない柱を。