上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

自己分析

最近就活中の人と話す機会があって、それも契機の1つになったのだけれど、今、高校時代の自分の評価と、大学1,2年の頃の自分の評価と、大学3,4年の頃の自分の評価をしてみて、やっと当時出来るようになったこと、逆に出来なかったことを評価できるようになってきた。就活の頃にこれが出来ていれば良かったのかも知れないけれど、それは、どだい無理な話である。いつでも、客観視は遅れてやってくるものなのである。当事者であるうちは、冷静に見ることなんて出来ない。今、こうして社会人になって新たな経験をしているからこそ、当時の自分の能力を冷静に評価できるのである。当然、今の自分に関しては、まだ、正確な評価を下すことは出来ない。

今の自分について、過去の自分と比較対照することはできるじゃないか、と言えるかもしれないけれど、そこには限界がある。自分の概念にないことには、気付きようがないからである。それは今まで自分が経験したことのないような事象に遭遇して初めて自分の中に概念として生まれるのであって、それまでは、自覚的になることが出来ないのである。そして、そこで一旦自覚的な概念としてそれが自分の中に生まれると、過去の自分に遡ってその概念で照らし合わせて自分を見ることが出来るのである。それの積み重ねで、人間は自分の中の「自覚的な部分」を作ってきているのだと思う。

それを踏まえた上で今どうすればいいかというと、結局は、今の時点で出来ることを全力でやるしかないのだと思う。経験を重ねて気付きを得る以外に、不可能なことを可能にする術はないのだから。今の時点で気がついていない故に出来ないことがもしあるとしても、それは仕方がない。気付いていない以上、直しようがないのだから。また、直し方がわからないで模索していることがあれば、それも仕方がない。直し方がわからないのだから。けれども、今出来ることに対する取り組みは、怠ってはならないと思う。過去の自分に対し欠点を洗い出したとして、直し方がわかっているものに関しては、わかっている方法で直すように努力すること。直し方がわからないけれども不具合を起こしているものに関しては、直し方を模索すること。それが、今出来ることである。今出来ることはそれしかないけれども、それだけは確実に出来るのだから、それを怠っていては、より良い人間にはなれない。

将来の自分が今の自分をどう振り返るかなんて、今の自分には当然わからないけれど、その時に後悔することのないよう、とりあえず今出来ることをしっかりとやろうと思う。

まぁ、言葉にすると簡単で綺麗なんだけれどね…。現実は、そう簡単にはいってくれない。これが簡単に出来ていれば、自分は今頃もっともっと良い人間になっているはずなのだけれど。