上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

第1部、完。

本日、年度末です。

大学生が終わり、明日からは新社会人として働き始めます。

総括

良い大学4年間でした。

大学1年の夏から始めたこのブログですが、長期間に渡り、色々なことを書いてきました。ここの存在によって、僕の考え方に変化がもたらされたことには間違いがないと思います。相対化のため、客観視のためのツールとして。そんなこのブログですが、僕は大学生活の終わりをもって、このブログも第1部が完結したものと捉えています。明日からの日々では、ブログとの付き合い方も異なるものになるかもしれません。その前に、第1部の終わりとして、少し大学4年間を総括しておこうと思います。

学問分野

まずは学生の本分、学問について。

大きく分けて前半(教養学部前期課程)、後半(教養学部後期課程)に分けられると思いますが、大きな比重を占めていたのはもちろん後半であったように思います。

最終的に進むことになった3,4年の専攻、運と縁とどっちのお陰だかわかりませんが、僕にとって、とても良い学問を専攻できたように思います。学問分野そのものにも、そしてそれを学ぶ環境にも十分恵まれた。この経験が、今の僕のものの考え方に多大な影響を及ぼしているのは間違いない。上手く言葉に出来ない感覚的なところではあるけれど、僕のような人間の興味関心、人となりに近い分野と接することが出来た気がする。この学問に関しては自分はまだまだ全然何の知識もないに等しいので(何しろ、たった2年間学んだだけだし)あまり大きなことは言えないけれど、それでもなんというか、この学問が持つ思考スタイルと言うか、そういう雰囲気的なもの(うまくは言えないけれど)は多少なりとも吸収出来たのではないかと思います。その点がおそらく一番大きかった。英語力が向上したりとか、文章を読む能力が向上したりとか、文章を書く能力が向上したりとかもしたのでしょうけれども、結局のところそういうスキル的な能力の向上よりも、もっと根本的なところの、「ものの見方」を学ぶことが出来たというのは、本質を見抜く上で、人生を送る上で非常に大事なことだと思います。

一方、1年2年の頃の学問においては、頭に残っているものは実はそこまで多くはないのだけれど、あそこで色々な考え方に触れたのは無駄にはなっていないと思うし、自分の趣味思考を相対化することが出来たのではないかと思っています。就活のときのもそう思っていたけれど、自分に合わないものを判断するのに、全くその中に入らずに食わず嫌い的に「合わない」と決め付けてしまうのではなく、とりあえずざらっとでも良いからある程度中の事情を知り、知った上で「合わない」と判断することが大切だと思うのです。消去法的な選択をすることが多い僕にとっては、それが出来たのが大きかったのかもしれない。何事も、面白いと感じる点、つまらないと感じる点、絶対に両方あって、それは、実際やってみないとわからないものが多い。それらを経験した上で、自分自身がどういうものに関心があり、どういうものに関心がないのか、見つめなおす時間が出来た。そのような消去法的な選択方法が、果たして僕にとって先天的なものだったのか、後天的なものだったのかはわからないけれど、前期の間に色々な授業をとることが出来るシステムというのは、僕にとって都合の良いシステムだったように思います。そして、あの頃はそれなりに精一杯やってきたつもりだったけれど、今この自分の状態から見ると、凄くもったいない過ごし方をしたように見えてしまうのも少なからず事実ではある。もっと色々なことに関心が持てた気もするし、もっと色々なことを吸収できた気もする。なので、もう一度あの頃に戻って受けなおしたいという気持ちもあります。けれどもまぁ、もう一度戻ったとしても、同じことを繰り返すだけなような気もしますが(笑)。

私生活分野

続いて、学問以外の分野について。

こちらは、主にサークル活動を中心に生活が回っていました。ここで得た経験も自分にとって非常に大きかった。特に、新たな組織が生まれ、それを定常化させていくという過程に立ち会うことが出来たのが本当に大きな経験だったと思います。僕はゼロから何かを作り出すのがニガテな人間で、どちらかというと誰かの模倣をするほうが得意なのだと自分について認識しているのだけれど、そういう性格を踏まえた上で、新たな組織の創立直後に直面し、有能な人たちの元でその人たちがやっていることを見、さらにそれを次に自分たちのときに実践し発展させる、ということを経験できたのは、非常に大きかったように思います。この過程の中で、自分の苦手としている部分を多少なりとも成長させることが出来たかもしれない。また、責務を果たした後、そのまま引退して終わりなのではなく、自分たちの役目を終えた後もその組織に留まり、今度は自分がしたことを相対化して見ることが出来たのも大きかった。自分が為しえたこと、為しえなかったことを、後から他人がやっているのを見て相対化することが出来た。そうした中で、おそらく自分に出来ることの幅は大きく広がったのだと思います。そして、最終的に、それをはっきりと自分の中に取り込むことが出来たのが、就活だったのかもしれません。就活の過程において自分自身について他者から色々なことを聞き、他者から見た自分像を自分の中にそのまま素直に取り込むことによって、より正確な自己把握が図れたのだと思います。独りよがりで、どちらかといえば卑屈になりがちだった自己把握を、良い意味で修正することが出来た。最初のほうは実力がなかったせいで色々と迷惑をかけることも多かったし、先代の主将さんや周囲の人びとには、多大な心配をかけたことと思います。僕が主将をやっていた時を通じて何が出来たかといえば結局何も出来ていなくて、今になって振り返ると全然ダメダメなことばっかりだけど、終わったことをぐだぐだ言っても仕方がない。当時の自分に実力がなかったのは明らかなのだ。結局後になればなんとでも言うことは出来るけれど、当時出来なかったものは当時出来なかったということ。それは、今後に活かすしかないのです。

そうした様々な経験を通じて、コミュニケーション能力などは1年の頃と比べれば随分と成長したと思うし、ある程度社会的な関係を築けるようになったのだと思います。内面の成長みたいなものは、学問に携わっているだけではなかなか身につけられないものだし、私生活の中でサークル活動などを通じて身につけられた部分が非常に大きかったのだと思う。もちろん、こっちのほうもまだまだな部分もたくさんあるけれど、1年の頃に思い出すと、ある程度自分の中で納得のいくところまでは来たのではないかな。それはこれからもさらに経験を重ね、伸ばしていくべきところであると言えます。

短期バイト以外のアルバイトをしてこなかったのは多少心残りな面があります。おそらく、これを経験していたら、時間の使い方やお金の使い方、他者との付き合い方なんかも結構変わっていたのではないかと思うけれど。けれどもまぁ、終わったことは仕方がないし、それをしてこなかったことによって今の自分があるのもまた事実だと思うので、「選択しなかった」結果の自分を受け入れ、そこをスタート地点としてこれから判断していこうと思います。これから先はそういう生活をすることになるのだから、もしそれをしてこなかったことによって現時点で何らかの遅れが生じているのであれば、少しでも、遅れを取り戻すように。金銭感覚なんかは特に、自分自身不得手なところがあると認識しているので。

ブログ

ある意味このブログ、そして僕自身の特徴かもしれないけれど、色々なことを考えてはこのブログに書き連ねてきました。

バランス」「公平性」「安定性」「信・疑」「正しさ」「真っ当」「納得」「本質」「他者理解(独善とか)」「親切とお節介」「自己理解」「自<他」「一貫性」「補正」「超越」「問題の切り分け」「余裕と寛容」「理性と感情」「変わる、変わらない」「グレーゾーン」「空気読む」「先入観」「想像力のマネジメント(不安と想像)」「漠然とした不安」「自己嫌悪」「」「リアル」「視野狭窄」「生産性」「合う合わない」「抽象化」「目標達成型と青天井型」「逃避」「プラスを積み上げる思考とマイナスを減らす思考」「価値」…

キーワードをいくつも並べてみましたが、いずれも、どれがどんな話だったかすぐに思い出すことが出来ます。それは一瞬にしろ長期間にしろ、自分の中で課題なり関心事なりの形で考えてきたことだったし、1回考えて終わるわけではなく、生活を送る中で機会があるたびに捉えなおされ更新されてきたものでした。おそらく、これらの問題意識に対しては、だいたい自分の中でこの4年の間に整理がついたことでしょう。それなりの答えを見つけることが出来た、ということ。それの実行の段に当たってはまだまだ足りない部分は多いけれども、それでも、どういう風に振舞うのが「自分にとって」良いか、ということが現時点においてある程度の答えがあり、そしてそれを目指して努力を重ねることが出来るようになっている、と言える。それは自分自身が楽になるような生き方でもあるし、他者に対してより良い接し方が出来るような生き方でもあるし、社会生活を円滑に進められるようになる生き方でもあります。

おそらく、両極端な思考について考え、そしてその中から最適なバランスを見つけ出すこと。それを積み重ねることによって、僕はこれらのことに解を与えてきたのだと思います。この4年間。

おそらく、これから先も、これらの事柄への問題関心は消えることはないでしょう。現状である程度改善された答えが出てきていても、それがベスト、最適のものであるというわけでは全然ない。機会に応じて捉えなおす機会はあり、そしてそれはまた自分の中で更新される。新たな問題関心も生まれるかもしれない。おそらく今後はそれをじっくり文字にしてここに書くことは出来なくなると思うけれど、自分自身の理想的な生き方を目指す以上、その試みは続けられるものだと思います。ただこの4年間に限って言うならば、4年間の中である程度、理想的な生き方なり、ものの考え方を探しながら、より理想的な姿に近づく努力を重ねる、という姿勢を身につけることが出来たと思うし、また、その結果として、4年間の間により良い生き方が出来るような成長を重ねられたのだということ。それが今後においても使えるものとは限らないし、それは新たな環境に適応するために修正が重ねられるものであるのは間違いないけれども*1、とりあえず、僕の人生において、大学生活という4年間の間に、こうした試みを通じて確実に得たものや積み上げたものがあったのは認めてよいのではないかと思います。現時点では。

総括を終え

4年間の間に考えたことなんてそれこそ膨大な量で、こんな短い間に総括なんて出来ないし、自分の中でそれらを整理して考え直すことなんて到底出来ません。そして、今日と明日の間には、大きな区切りがあるように見えながら、実は明日からも連続した生活が続くことは変わりがない。今日までの自分が自分なのならば、明日からの自分もまた同じく自分なのです。そういう意味では、明日からの生活には、実は特に気概なり期待なり不安なりがあるわけではないのかもしれない、というのが今の心境です。環境こそ変われど、自分は自分なんだから、大して変わりないじゃん、って。そういう考え方が出来るようになったのも、この4年間があったからなのかもしれませんね(笑)。それがプラスのことなのかマイナスのことなのかはわからないけれど…。

1日やそこらで考えられることというのは少ないもので、ここでは目に付く程度のことをざらっと眺めて適当にコメントをつけただけの、薄っぺらい総括になってしまったけれど、相変わらず、自分のまま継続して明日以降の生活に進んでいこうと思います。

明日以降

色々考えても仕方がないので、まずは、目の前のことをただひたすら頑張るのみだと思います。これまでの人もそうやって過ごしてきたことでしょうし。何事も自分で決め付けるのではなく、これまで積み重ねてきたことに照らし合わせつつも、自分自身を変える必要もきっとたくさんあると思います。たとえ理不尽だと感じることがあったとしても、それはきっと将来の役に立つ。無駄なことは何もないのだと思います。これまでのように。まずは経験を積むことが大事だと思うので、謙虚な気持ちを忘れずに、挨拶を欠かさず、目の前のことに全力に取り組むのみ。評価するのは、後になってからでいい。最初のうちは新しい環境に慣れず、時には戸惑うことも多いと思うけれど、そういうのも後になってから振り返れば良い。最初の5年は長いスパンで見て、吸収の時としてひたすらにやるのみなのではないでしょうか。おそらく、気付いたら、あっという間に時が経っているのだと思います。そして、そのときに判断材料となる自分自身の蓄積を持つために、それまでは、目の前のことにその時その時の自分自身のベストを尽くすのが大事なのではないでしょうか。

ではでは

明日以降、もしかしたら、しばらくご無沙汰することになると思いますが(なんだかんだ言って土日とか更新しそうだけど)、皆様、体調には十分お気をつけてお過ごしください。お元気で!

*1:特に新社会人の間は、既存の固定観念、価値観をスクラップ&ビルドする柔軟さと謙虚さが必要なのを心にとどめておきたい