上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

ブルシット・ジョブ

ようやく邦訳が発売されたので、読んだ。まだ1回だけだが、よりよい理解のためにはもう何回か読まなければならないかもしれない。

1回読んでみた時点での感想。漠然とした徒然なる思いだけど、とりあえず書いて整理したいと思ったので書く。人に読ませるためのものではなく、自分自身の忘備のためであり、本の内容には詳しくは立ち入らない。

多くの人がなんとなく気が付いていながら、語らなかった、あるいは具現化できなかった概念について「ブルシット・ジョブ」という名前を付けた時点で著者の勝利だと思う。たぶん、読んでいる人の中では本の中で著者が定義している内容よりは幾分か広い意味で「ブルシット・ジョブ」という言葉は捉えられているのだろうけれど*1、多くの人が思い当たる節があったからこの本を手に取っているはずだし、多くの人が頷くところがありながらこの本を読み進めたのだと思う。

今の私自身の仕事も「ブルシット・ジョブ」の類だと思っている*2。12年前に就職活動をするときに漠然と考えていた「なんのために働くのだろう」という問いには実は自分の中ではまだ答えが出せていなくて、というより、年々その問いに対する疑問は大きくなっている。この本は、私の中でもやもやしていた部分に完全とは言わないまでも明快なイメージを与えてくれた*3ように感じる。でも、他の同種の問いとも同じだけれど、問題の理解の助けとはなれど、結局解決策は与えてくれない。著者は最後に1つの案としてベーシックインカム制を提案しているし、その通りとも思うけれど、おそらく実際の世の中はその通りにはならないだろう。私は12年前、官と民で就職先を迷ったときに、資本主義社会で暮らしを立てる以上、自分の生活も経済がベースとなったほうが自身の行動原理がより明確になるはずだと思って民間を選んだけれど、結局は経済活動も全ては権力と政治も含めた人間の総体的な活動の中にあるのであった。

最近少し感じていたこととして、20世紀がライン化とマニュアル化・標準化により「馬鹿でも出来る仕事」化を進めてきた時代だとしたら、21世紀(あるいは少しずれこんで22世紀になるかもしれないけれど)は「馬鹿に出来る仕事はいらない」時代になるのだろうと思っていた。AI化とロボット化によって単純作業が不要になり、人間が楽になる社会。でも、この本を読み、その考えを少し改めた。人間が権力と政治を持っている限り、この世から仕事はなくならない。世の中に対して価値のあるエッセンシャル・ワークはオートメーション化により今後さらにその場は奪われていく(そして、賃金も低くなっていく)が、むしろ、ブルシット的な仕事の割合はさらに増えていく。たぶん我々は、自分の仕事がブルシットだと思いながらも、仕事を続けていくしかない。

さて、この先に我々が取るべき態度は何なのだろう?自分に正直になるために「シット・ジョブ」に身を落とすのか、それとも、余裕のある経済的に豊かな暮らしをするために「ブルシット・ジョブ」を続けて道化を演じきるのか。でも、たぶん、12年前にこの知識を持って就職活動したところで、おそらくはもう一度同じ選択を繰り返すしかない、という気が何となくしている。会社人生10年の節目を迎えたが、この先にも会社人生はまだ20年以上も(あるいは我々の場合は30年、40年となるのかもしれない。Horrible。)続いていく。

うまくまとまらないけれど、1回読んだ時点での感想はこんなところ。入社同期が続々と転職をしていく昨今だけれど、まだまだ考え続けていくことになると思う。

ここからは余談だけれど、著者は人類学者。経済学的観点だけでもなく、政治学的観点だけでもなく、人類学の観点から総体的に我々の生活を見る視座だからこそ書けた視点なのかもしれない、とふと思った。学生時代、少しだけ人類学を齧ったけれど、今でも、基礎を身につける最初の必修の授業で、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」やカール・マルクスを課題図書として輪読したことを思い出す。マリノフスキーやレヴィ・ストロースみたいなのが人類学だと思っていた当時は「なぜだろう」と思いながら読んでいたけれど、総体的なものの見方を身につけられた*4ことは感謝している。この先さらに発展させた議論も期待していたが、残念ながら先日訃報が届いた。ご冥福をお祈りします。

*1:得てして使いやすい言葉は当初の定義よりより広い意味で捉えられるようになっていく。例えば「ゆとり世代」とか。

*2:業界的にはそうではない「エッセンシャル・ワーカー」の類に入るけれど、その中でやっている私自身の業務内容はまさしくブルシット・ジョブ的だ。

*3:コンサルタントロビイストが跋扈するアメリカの状況を理解しながら読むとより理解は進むため、日本とは幾分か状況が異なる部分もあるとは思う。それでも。大枠のところでは一緒だと思う。

*4:とまでは言えないけれど、そのような姿勢は取ろうと思っている