上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

オンラインGW

在宅慫慂下のGWが終わろうとしている。

どこにも行けないGWだった。オンラインでランチ。オンラインでお茶。オンラインで飲み会。残りの時間はテレビを見たり、本を読んだり。

人と会うとそこはかとなく虚しさ、寂しさが募るのが過去のGWの常だったが、人と会わなかったとしても、虚しさ、寂しさは募るものなのだな、と思った。画面の向こう側の同世代はみんな親になっていて、画面の向こう側には子どもたちが走り回っていた。皆、着実にそれぞれの人生を懸命に築いていた。今まで見て見ぬふりをしてきた、あるいは、見て見ぬふりをしていられたものが、画面越しに不意打ちで一気に襲い掛かってくるような気がした。一方で、年老いた人たちには、限られた数少ない長期連休の1つが終わった。子や孫と会うのを楽しみにしていたであろうけれど、何かの拍子に感染してしまえば、かなりの確率で死が近づいている年齢であることを考えると、無理は出来なかった。連休の最後、近くでは、不幸もあった。五体満足な、健康な状態であと何回長期連休を過ごすことが出来るのだろうか。身の回りの平穏も、いつまでも続くわけではない。そう思うと、貴重なGWの1つがこのような形で終わってしまうことには、やはり寂しさを感じる。

一人の時間には気を紛らわせることをして、嫌なことを忘れることが出来るけれど、不安な要素は身の回りに地雷のようにたくさん埋まっていて、ふとした拍子に踏んでしまうと一気に襲い掛かってくる。それなりに安定してそれなりに正しい生活を送っているとは思っているけれど、一寸先は闇であることをふとした拍子に思い知らされる。

気分が下がり気味なのは在宅が続いているせいだけではないと思う。