上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

意味

…そんな充実した休日だったはずなんだけど、どこかしら空虚な気分が抜けない。

先日先輩と車で走ってた時に、ふとした話の流れで「自分が死んだときに悲しむ人ってどのくらいいるのだろう」っていう話になった。

結局それって、周りに正の影響をどれだけ与えられていたかの話なんだろうけれど。自分は誰かに、いったいどれだけの影響を与えられているのだろうか。その中に、代替性のない、替えの利かない影響って、どれくらいあるんだろうか。私がいなくなったところで、結局は代わりに誰かがその役割に収まって世界は回っていく。今とは違う形だけれども、世界はあたかもそういうものであったかのように、何事もなく回っているはずだ。喪失感により、一時的に悲しんでくれる人はもしかしたらそれなりにいるのかもしれないけれど、いずれ欠けた穴が代わりを埋めるものに満たされるに従って、忘れ去られていく。その程度のことなんじゃないの。なんていうか、存在する意味、っていうか。

なんとなく生きていく意味みたいなものがまだ明確に捉えきれていなくて、たまに立ち止まりそうになるときがある。代替性のなさとかって、結局そこにつながるんだろうと思っているのだけれど。かけがえがない、ってことは、それを失った穴はいつまでも埋まることがない、ってことでしょ。そこに存在する意味みたいなのがあるような気がしている。今それを感じられていない、ってことは、たぶんその実感がないんだろうな*1。今は。それは、今日の生活を見ても自明のこと。結局今日したことって、自分のためでありこそすれ、人のためじゃないでしょ。あるいは、自分でない誰かでも出来ること。自分のために何かするのって、一時的には楽しさを感じるかもしれないけれど、結局それって刹那的な楽しさで、後から虚しさが襲ってくるものなのである。自分の中で閉じていると、結局それは、「なくてもいいこと」のかたまりに過ぎない気がしてしまう。

普段は見て見ぬふりしてやり過ごせているのだけれど、心の奥深くに潜んでいて、ふとした拍子に姿を見せる、灰色な気分。何色もついていない、ぼんやりとした、寄る辺のない気分。考えてもきりがないから、結局いつも、思考停止してしまうんだけど。

今日もここで、思考停止する。本読んで寝よっと。

*1:血のつながりの濃いところについてはそうではないと思っていて、この辺に解決の糸口があるような気はしている