上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

価値

自分の中の価値をぶれることなく持っている人は、きっと幸せなのだと思う。

私はそれがすごく苦手で、人の意見に価値判断が左右されやすい。また、気分によって価値判断が乱高下する。そのことによって何が起こるかというと、先ほどまで信じられていたことが、次の瞬間には信じられなくなる。何が正しいのかわからなくなる。不安は増大し、前に進めなくなる。

さらに悪いことには、基本的に、価値判断が下振れすることが多い。上振れすることが多い人は、だまされやすいなどの弊害はありそうだけれど、基本的に人生楽しそうに見える*1。しかし、下振れすることが多い人はどうなるかというと、基本的に蟻地獄に半分はまりこんでいるようなものだと思っている。価値の高いものに対して興味を示して、それを手に入れようとしてその方向に進もうとするけれど、手が届きそうになる前に、ふとした拍子に価値判断が下振れすると、足元の砂は崩れ、手の届かないところへ滑り落ちていく。結果、何を手にすることもできず、凡庸な立ち位置にずり落ちていく。いつまでたっても、そこから抜け出せない。

今日の帰り道も、そんな帰り道だった。身の回りのものに、あまり価値を見出せず、日ごろの行いに、あまり価値を見出せず、結果、自分の存在自体も価値が薄く感じられていく。そんな負の螺旋。

家に帰ってから、靴を磨いた。靴墨を塗り込んで、ブラシで磨いて、仕上げに布きれで磨いた。そのことによって何かの価値が向上するとは思えなかったけれど、ただ、前向きといえそうな何かをしたくて、靴を磨いた。

先週末、先輩の結婚式に履いていった靴を磨いた。実直でまじめで、少し変わったところがあるけれど、興味をもって色々なことに挑戦していく姿勢を持った人が、とても優しそうな、すてきな奥さんと結婚式を挙げた。普段、少し不安定なところがあるけれど、あの日はずっと頬が緩みっぱなしで、良い表情をしていた。新潟の靴流通センターで買った、滑らなくて軽いだけが取り柄の安い靴を磨いた。新潟の最後の冬、消雪パイプの水でぐちゃぐちゃになった道路を通勤していた。曇り空の毎日の中で、一瞬雲の間から差す太陽の光が、少しだけ視線を上にあげてくれた。週末の合コンに履いていった靴を磨いた。上層の、これまで自分が生きてきた世界には、なんとなくいなかった種類の人たちだった。話をするのは楽しかったけれど、生活空間の中に入っていくということ、すり合わせをしていくということが、すんなりとイメージに入ってきてくれなかった。自分の立ち位置のようなものを、なんとなく、遠いところから傍観しているような気分になった。次から次へと、靴を磨いた。靴にまとわりつく記憶が頭の中に浮かんでくるのにただ頭を任せながら、靴を磨いた。靴墨を塗り込んだ。ブラシでこすった。布で磨いた。

相変わらず、価値は低いところにとどまったままだ。気分は別に、よくなってはいない。たぶん、このまま寝て、朝が来て、明日という1日がまた始まる。ただ、結果として、少しだけ傷が目立たなくなった靴が、玄関に並んだ。世の中の事実だけは少し、変わった。そこにどのような価値を見出すかについて素知らぬふりをしながら。

*1:そう見えているだけかもしれないけれど