上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

「昔はよかった」というおじさんの気持ち

同じ組織に10年いるという経験は初めてだ(正確に言うとまだ10年は経っていないけれど)。

新しい物事に対処するときに「やったことがある」というのはとても大事なことだと思っていて、それの有無が人に余裕を持たせるのだと思っている。けれども一方で、自分の経験からしか物事を言えない、というようになってしまうとそれはそれで良くないことで、新しい物事に対しては新しい考え方が求められる時もある。

ところが、10年いると、「昔やったことがあるもの」もある程度増えてきていれば、「昔やった時とは状況が変わっているもの」というのもある程度増えているのだ、ということに気が付く。こうなったとき、いつまでも昔のやり方に固執しているようではよくない。

「昔はこうだった‥」というおじさんの存在が会社では時々ステレオタイプのように言われるけれど、こうやって生産されていくものなのか、というのを、この年になってようやく実感している。おそらく、自分がその立場に立ってみて初めて分かるものなのだと思うけれど、これは相当厄介だ。

自分としては従来通りのやり方のほうが楽だし、慣れているし、心地が良い。人間はそうそう変化を求めないようにできているし、もうこの年になるとなかなか頭を変えるのもかなりの労力が必要になる。けれども、時代はどんどん変わっているし、新しい考え方を持った人間がどんどん入ってくる。

新しい技術に対する勉強はしなければならなくて、それはある程度覚悟はしているけれど、新しいものの考え方だとか、パラダイムとかに対応するための勉強は相当大変なのではないかと思っている。なぜなら、そこには正解がないから。というより、それぞれがそれぞれの正解を持っているから。物理的なものであれば、ある程度正解のようなものはある(指標を当てはめればよい)けれど、考え方はそもそも生きているのと同じだけの年数をかけて作り上げてきたものであるし、年数が少ない人間にそれを否定されるのはかなり辛い部分もあるだろう。相手を否定したくなることも当然出てくるのだと思われる。

その立場に足を踏み入れて初めて、「ああ、こういうものなのか」と思う。繰り返すけれど、相当厄介ですよ、これ。先人たちはこれを克服してきたのかと思うと、凄いと思う(あるいは克服されてない結果も散見されるけれど)。