上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

結婚式

西海岸での結婚式帰りの空港でこの記事を書いている。これから、東海岸に戻る。

新潟に住んでいた時、休日に結婚式に参加し、最終の新幹線で新潟に帰る時、華やかな式を終え、静かな夜の新潟に帰っていく、寂しさに似たような、曖昧な感情を覚えながら帰っていたのだけれど、さすがに片道6時間のレッドアイ*1フライトだと、そうした感情をも通り越してしまうものらしい。

今日の結婚式は、このブログを始めた頃からのお付き合い、この人がいなければ今の私はないと確実に言える、私の人格形成に大きな影響を与えてくれた先輩の結婚式だった。当人から直接受けた影響はもちろんのこと、その人がいなければそもそも大学4年間を過ごした環境がなかった、という意味合いでも。

式中のスピーチで、当時のご本人のブログ記事からの引用があった。「普通なら恥ずかしいと思うようなことでも、しっかりと言葉にして言うことができる」というような趣旨のスピーチだったと記憶していて、まさしくその通りだと思った。信念の塊のような人。久しぶりに、少し、当時のことを思い出した。

あの時から14年が経過しようとしていて、大学時代を一緒に過ごした時間よりも、その後の時間の方がはるかに長くなってしまっている。当然、良い方向にも、悪い方向にも、人間少しずつ変わっているのだろうが、長期的な視点で見たときに、果たして私は、ちゃんとあるべき方向に進めているのだろうか、今、正しい位置にいるのだろうか、ということが少し頭をよぎった。その時々で正しいことをしていれば、正しい方向に進むことができると私はまだ信じているけれど、今の私は、本当に、正しいことをしようと努力しているのだろうか。あの頃より、手を抜いていやしないだろうか。大人になるというのは諦めがつくことだとか、手の抜きどころがわかるようになることだとか、いくらでも言うことは出来るけれど、「大人」という言葉のせいにしてそれを正当化するのではなく、あくまでその時々で正しいと思ったことをしっかりとするべきなのだ、と思った。人に対しても、世間に対しても、そして自分に対しても、ごまかしをしてはいけない。大学時代というのは確かに揺れ動いて大変な時ではあったけれど、人に対しても、世間に対しても、そして自分に対しても、それなりの真面目さみたいなものもあったのだと思う。最近、すっかりそれを忘れている。こんなものでいいや、と、手を抜いている。

なんとなく、そんなことを思いながら、ひとり空港のロビーでキーボードを叩いている。戻ってから、少し居住まいを正して、正しく生きるための努力をしなければ。

式は、私がこんなことを言うのもおこがましいけれど、祝福の中心にある人の人格と交友関係が表れた、とても素晴らしいものだった。参加できてよかった。お招きいただいたことに、とても感謝している。

おめでとうございます。ロサンゼルスにて。

*1:夜行