上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

配慮

大手町駅に10分前に着き、そこから全力疾走して間に合った新幹線。車内はとても混雑していて、3人掛けの通路側の席に座った。途中から、30代前半くらいの女性が、3歳くらいと思しき男の子と共に、隣の席に座ってきた。

普通、3人掛けの真ん中の席に座るには、大きな抵抗がある。特に、小さな子供連れの場合には、その抵抗は察するに余りある。次第に飽いて車内でむずかりだす子供。眠っていたり、疲れた顔で書類と向き合うビジネスマンと、旅行先へと向かう高齢者で非常に混雑した車内。そんな環境下では、小さい子供連れの母親には、気を配らなければならないことが、山のようにある。神経を多分に磨り減らすであろう状況。一見平穏に見えても、不協和の種がそこかしこに潜み、ひとたび火がつけば、それぞれがそれぞれなりの事情を主張したとしても、誰も責めることの出来ないであろう車内。

そんな中、女性は、子供に含ませるような言い方で、ずっと、根気よく語りかけて上手くあやしていた。そして、左右の両席に座っている我々にも、決して不快な思いをすることないよう、常に配慮を怠ることなく気を配っていた。

そこには、非常に高いレベルの気配りと、私から見れば気の遠くなるような辛抱強さが見て取れた。経験によってもたらされたものなのか、元々の性格によるものなのかは私の知るところではないけれど、その気配りの深さと広さに、畏敬の念を覚えた。普段生きている世の中では、中々そうした高いレベルの配慮を見ることは出来ない。世の中には、人のことなど考えず、自分の意思、主張だけを通そうとする人が思っている以上にたくさんいる。また、そうでなくても、必要最低限の配慮だけで、配慮したつもりになっている人が大半なのではないだろうか。勿論、その程度のことでも事は起こらない。実際はそれだけでも事は足り、それなりに世界は上手く回っていく。だからこそ、それなりの配慮だけでも普通は満足してしまう。

しかし、中に、その次元を超えて、それ以上の非常に高いレベルを持った人がいる。そこに触れた時に、自分自身がいかに普段現状に安住しているかということを思い知ると共に、それで満足していたことを深く恥じる。

女性とその子供は、一つ先の駅で、丁重な挨拶をして降りていった。その後ろ姿を見て、心の中で、深々と頭を下げた。普段「それなり」で満足している自分の意識を、今一度正さねばならない、と思った。