上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

その2

近代美術館を見学した後、時間があったので、靖国神社遊就館に行ってきました。

何か…ここについて詳しく言及するのは避けるけれど、一度行ってみるだけの価値はあるのかなぁ、と思います。史実を中立な立場から見ることの難しさ。いや、むしろ、中立な立場なんてものはないのかもしれない。本当に、これこそ、解釈の問題。

多くの人が亡くなったのは紛れもない事実なのだ。そして、おそらく、その事実の重みが、色々な解釈と意見を生み出している。事実が重大であれば重大であるほど、そこに絡んでくる感情も大きなものとなる。その事実を知ることが出来る場所ではあると思います。そこに対して、僕は、自分の意見らしきものを持つことは出来るけれど…。それが正しいなんていうことは到底出来ない。多分、それを押し付ける気にも、到底なれないのかな。

5分ばかり立ち話をしたおじいさんの話が印象的でした。叔父さんを戦争で亡くし、毎年訪れているという方。その人もその人なりの意見を僕に対して話してくれたけれど、実際にその時代を生きた人の言うことには、自分が持つことの出来ない重みがある。それも、1つの解釈に過ぎないのかもしれないけれど、色々と考えさせられました。

先ほど解釈に対する自分の恐れを述べたけれども、解釈のぶつけ合いというのは、怖いことでもあるけれど、必要なことなのだと思います。正直、建物を出るときには強いイデオロギーに中てられてしまって、へろへろになっていた面はあるのだけれども、そういう考え方があると知ることはとても大切なことだし、必要なことなのだ。怖いから、疲れるからといって、避けていてはいけない。そういった色々な価値観に触れた上で、自分なりの立場というものは築かれなければならない。

うん、やっぱり、主張を恐れていてはダメだよね。嫌われることばかりを恐れていては…。