上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

悪事千里を走る

今日色々な話をしていて思ったのだけれど、僕はあまり、他人の噂話とかは聞きたくないほう、だと思う。他人と比較すれば、の話だけれど。おそらく。

多分、そこに含まれる情報の不確かさがその所以なのだと思う。噂話ってよく人の憶測が混じっているものだし、思惑が十二分に含まれているものだとも思う。同じ事実にしても、他人がどう思ってそういう風に行動しているかなんて結局のところわからないわけだから、人によって解釈もいくらでも変わってくるだろう。そこに不用意に踊らされたくはないし、自分がそういう不用意な解釈をされていたとしたら、ということを考えると、首を傾げたくなるのだと思う。だいたい色んな噂話って、尾ひれがつくものなのだ。そこは常に疑ってかかるようにしている。けれど、噂話とかそういう類の人がいるのは事実だし、別にそれを否定するつもりはない。そういう話が楽しいと思う気持ちもわかるし、自分がそこに加担していることもあるでしょう(多分)。知識欲はそれは誰にだってある。たまに後で後悔する。

あとはまぁ、マイナスの情報を知りたくないっていうのもあるでしょうね。世の中、知らぬが仏、知らないほうが幸せなことっていうのはいっぱいあって、まぁ知ったほうが有利に働く情報もあるのだけれど、個人的には知らないほうが良かったみたいな話のほうが意外といっぱいあるように思える。それを知らずに生きていけるのは非常に幸せなことなんだと思う。例え、その結果失われているものがあったとしても。失っていることに気がつかなければ、それはそれで幸せなんだろうな、きっと。まぁでも、知ったほうが幸せなことっていうのももちろん多々あるわけで、その辺は上と一緒で、バランスだ。情報はある程度あったほうがいいかもしれないけれど、ありすぎたり、それに踊らされているようではいけない。

もしかしたら、自分に置き換えて考えてみたときを想像してしまうからなのかもしれない。自分が裏で何言われてるかわからない、っていう恐れは常にあるわけで、そういうところを恐れながら生きている部分はある。逆に言えば、言われても大丈夫な範囲を逸脱しない範囲で生きているというか。そこには、おそらく噂話に対する恐れとかそういうのが含まれているのかもしれない。人の評価、評判。ちっぽけな人間だなぁと思って悲しくなるけれど、そういう部分があることは否定できない。

そんなわけで、後で思い返してみると、どちらかというと自分にはそういうのは向いてなくて、やっぱり普段からそういうことは積極的にはしないんだろうなぁ、と思った。たまにやる分には全然いいんだけど。という感じ。まぁ、噂話も、うまく働いてくれるならそれでいいんだけどね。大抵、噂になるのは良くない話ばかりだ(笑)。

何言われてっかわかりませんからね。気をつけようっと。