上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

一億総評論家社会

1年前くらいにキュレーションサイトに関する不満を述べたけれど、ようやく日本でもその質が問題となっているようですね。

ただ、今回一時的に問題になったからと言ってこの手の情報が駆逐されるとは全く思っていなくって、手を変え品を変え残り続けることでしょう。ネット上の広告の仕組みや検索の仕組みが変わらない限り、この構造は変わらないと思う。古い昔の「ホームページ」を作っていたころの中身の濃いインターネット上の情報はもう戻ってこないでしょう。情報に対する関わり方が、全く変わってしまっているでしょうから。日本のマスコミを見ていても、同種のことはよく思います。「夜討ち朝駆け」で特ダネを自分の足で稼いでいた時代から、視聴者のtwitterの写真を手っ取り早く持ってきてちゃちゃっと編集してそれでネタにしている。たぶん、国民の多くの人が、それでいいと思っている。「一次」の持つ情報の「重み」みたいなものがなくなっている。

インターネットが普及して、スマートフォンが普及して、twitterなどで誰でも情報発信が出来て、SNSなどで誰でも意見を言える時代になって、情報の重み、みたいなものが平板化してきている気がします。「一億総評論家時代」とでもいえばいいでしょうか、誰でもいっぱしの評論家気取りでモノが言えて、その意見が簡単に取り上げられて拡散していく。昔は昔は、っていうのもよくないと思うけれど、昔は、情報ソースは限られていて、そこで発信することが出来るのは「有識者」と呼ばれる人のみに限られていた。そういう人はそれなりに勉強もして、知識もあって、見識がある人たちだったから(偏りこそあるかもしれないけれど)、ある程度しっかりコントロールされた情報だけが世の中に出回っていたんだと思う。それが、昨今のリツイートの嵐の中だと、「軽い」情報でさえも、数の力によって瞬く間に強い力を持つようになってしまう。これって、すごく危険なことだと思うのですが。

twitterとかの情報って、自分の「好き嫌い」だけで情報を選択できるので、どうしても感情的に「聞こえのいい」言葉とか、「わかりやすく過激な」言葉とかがもてはやされる傾向にあると思います。政治家もそれを利用しているきらいもあって、どんどん世界がそっちの流れに傾いていく気がします。それこそトランプだって、twitterを利用した選挙戦略の結果、当選しているわけだし。これが世の中の流れだから仕方のないことだと受け入れるしかないのだけれど、凄く、怖いことのような気がします。

なんかうまくまとまってないので、もう少しどこかでまとめるかもしれない。とりあえず、最近思っていること。ここ1年くらいでだいぶ形になってきました。具体的事象が出てきて。