上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

学習

安きに流れ続けてきて、いつの間にか、こんなところまで来てしまった。

「勉強」というものをしなくなってから、どれくらいが経つのだろう。ある知識を身に着けるのに、予習、復習を行い、反復練習をすることにより身に着けていく類の学習。現在私が働いている業界の常識だとか、あたらしい知識だとか、そういったものを全く自分から身につけようとしなくなっている。聞いたことの切り張り、人が言っていたことの切り張りで仕事をくぐり抜け続けた結果、いつの間にか、もはやそうした学習に向かう意欲すら持たなくなってしまった。「なんとかなるでしょ」の連続の結果、今いるところまでたどり着いてしまった。

何度か思ったけれど、過去の遺産を食いつぶしながら生きている状態では、この先がなりゆかない、と思う。10代前半の遺産で10代後半から20代前半を生きて、10代後半から20代前半までの遺産でそれから今に至るまでを生きて。ところが、20代前半から今に至るまでに、新たな知識の積み増しがない。そうすると、30代、40代はどうなってしまうのか?自ずと、結果は見えているような気がする。

過去の遺産がなかなか生きづらい会社で生きているのは事実だけれど、だからといって、「それなりに何とかなる」からこそ、「それなりに何とか生きちゃいけない」のだと思う。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。こんな、だらだらと日々を生きているようじゃ、先に進めるものも進めない。意欲のせいだとか気持ちのせいだとかにしないで、将来のために、出来ることはしておいたほうがいいのではないか。

結局、モチベーション、というか、心の底にあるはずのエネルギーの話に戻ってくるのだけれど。勉強は、ツールを身に着けるため。語学力も、仕事のスキルも、人間関係も、結局は「ツール」なんだと思う。何か心の中にやりたいことがあって、それを実現するためのツール。そこまではわかっているのだけれど、果たして、そのツールを使って達成すべき目標が見つかっていない。もう30も目前にしているのに。これから、どうやって生きていくのですか?誰のために?何のために?