上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

余計なことに触れる機会

なんだか最近「一言余計なんじゃないの」とか、「それ今言わなくていいのに」とか思うことが多い。首をかしげたくなる。

わからないのは、これが私の料簡が狭くなったのか、はたまた余計な言葉に触れる機会が増えたのか、どちらなのか、ということ。

まず、自分に合わない意見というものそもそもが、増えているのかもしれない、と思っている。歳をとるにつれ、だんだんと知恵も知識もついてきて、自分なりのものの見方は固まってくる。たぶん、周りの人も、同様に、それぞれの道に固まってくるのでしょう。その中で、自分と違う道に進んでいった人について、自分と合わない意見が出てくるのは仕方のないことだと思っている。さらには、無駄に知恵や知識がついてきているものだから、それにそぐわないと判断したものに対しては、「違うよ」って思ってしまうこともあるのだと思っている。得てして老人が頑固になるのって、結局そのせいだと思うし。自分がこれまで培ってきた経験に頼って物事を言っていて、その経験が変わりゆく世の中のそれからは離れてしまっている、ということ。おそらく我々は、現在進行形でその過程にいる。

一方で、自分に合わない意見に合う機会というのも、確実に昔よりは増えている、と思っていて。学生時代なんてのは、昔はいろんな人がいるように思っていたけれど、社会に出てみれば、特定のセレクションを受けた、一定の性向を持つ人の集まりだった。色々な人と会う機会が増えれば、それだけ、自分に合わない意見と合う確率も高くなる。さらに最近悪いのは、SNSでのやり取りが非常に増えていること。こういうブログって自分が見たいものだけ見ればいいけれど、SNSって見たい見たくないに関係なく、一覧になってごちゃっと表示されるじゃないですか。ブロックすればいい、っていう話もあるけれど、そうは言うものの、キャッチアップしていないといけない情報みたいなのはあると思っていて、必ずしも合わない情報をブロックすればいい、という問題でもないと思っている。そういう意味で言うと、自分に合わない意見を見なきゃいけなくなる機会って、昔より増えているんじゃないかと思っている。

これまで何度も書いてきている「親切」「お節介」の話で言えば(上の検索欄に「お節介」と入れて検索をかければたくさん出てくる)、なーんか「お節介」と思うものが増えている、というか、目につく、というか。私のせいなのか、それとも社会のせいなのか…。そもそもが悪いことなのか、良いことなのか…。当たり前だとは、思うんですけど。