上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

Thirty, thirty.

SNSのタイムラインに流れる情報が、「どこどこに遊びに行きました」から「結婚しました」が多数を占めるようになって、それが最近では、「子供が生まれました」やら、「子供がこれだけ成長しました」が多数を占めるようになってきている。こうして、周りに取り残されていることを実感して焦りが増していくのか、ということをようやく肌身をもって思い知っている30歳。だからと言って、海の向こう側のこちらでできることも、限られているのだけれど。焦ったところで仕方がない、とある種諦念をもって眺めている状態も無力感が募ってやるせない。

まぁ、今ここでこうやってこうしていることも、ある程度必然の結果なんでしょうけれど。そう思ってしまう自分がいるのもやるせない。振り返れば、あの時こうしておけば、なんていう後悔なんて腐るほど山積みになっているんだろうけれど、たぶん今の自分がその時に戻ったとして、きっと同じ選択を繰り返すだけなんだと思う。過去なんて、そんなもんなんだと思う。今ある選択肢をどうするか、ということを考えるしかない。今ある選択肢、というものを冷静に眺めると、少し冷や汗も出てくるけれど、それでもなお、5年後、10年後から振り返ることを考えると、将来よりは今のほうがずっとずっと、選択肢は残されているはずなのだから。

気持ちが落ちているときはスピッツを聞く、という先輩の言葉をなんとなく思い出した。スピッツを聞きながら、この文章を書いている。さっきまでは、全然違う前向きな文体の文章を書いていた。表の自分が裏の自分を欺くのがうまくなったのか、それとも、裏の自分が表の自分を取り繕うのがうまくなったのか。いずれにせよ、そんなところなんじゃないのか。