上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

隣の芝

色々な人と会うと、時々自分がこうでいいのかと思って軸がぶれそうになる。

他人が輝いて見えることが多い。実際その他人が輝いている人間なのも事実なんだけど、どうしても自分に持っていない能力を持った人が羨ましく思える。自分にもそうなれる可能性はあるのだろうか、あったのだろうか、という思いが揺さぶりをかけてくる。

もちろん、自分としてのスタイルなりタイプなりは認識しているつもりだ。そして、おそらくはその自分に納得している部分があるからこそ今こうしてこうやって生きているのだと思う。けれどもこうして時に他人に軸をぶらされてしまうのは、やはりどこかで自分のスタイルの正しさを信じ切れていないからであり、自分を信じ切れていないのは、自分が求める結果をこのスタイルで生きながらにして未だ手に入れていないからなのだと思う。おそらく望み通りの結果を手にしているならば、満足しているに違いないので。

結果が出るまでは、おそらくこのスタイルなりタイプに対して時として疑問を抱きながら、あるいは自己否定さえしながら生きるのは仕方がないことなのかもしれない。最終的にこのやり方で結果が出るのならいいのだけれど。結局最後まで結果が出ませんでした、それはスタイルが間違ってたからですね、なんて気付いた時にはもう時すでに遅い、ということにならないよう。

人間は果たして変わることが出来るのか、という問いを繰り返しながら。ここまで来たら変わらない気もするんだけどなぁ…。