上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

海猫

寝たきり読書ついでにもう1冊読んだのでたまには感じたことを。

海猫

海猫

この本もう読むの2回目か3回目なんだけど…でもやっぱり谷村志穂の人間の内的部分の描写力って凄いものがあると思う。普段あんまりこういう話を人にするのって好きじゃないからあまりしないけれど、「人を愛すること」って、こういう狂気じみた部分も絶対含んでいると思うの。本気になればなるほど。俺はそう思っていて。けれど、それって得るものも大きいけれど、失うものも大きくなる。それだけ、代償の大きい行為なんじゃないのか。のめりこんだらのめりこんだ分、反動も大きくなる。だから、反動を恐れてしまって、理性でそれを押し殺してフラットに生きようとしていると思うんだけど。妥協点、というか、全てをうまいこと穏当に滑らせていくために。本来であれば、ここまで本気で誰かに何かをぶつけられるのって素晴らしいことだと思う。ある意味理想形だ。けれど、それって、相手あってのこと、社会あってのことなのだ。お互いの信頼関係があって、そして相手がそれを受け入れられるほどの度量の持ち主であるならばあるいはうまくいくかもしれないけれど、現実はそうそう本気が本気で居続けられるほどうまく出来ていない。社会生活を送る上で、自らが立つ立場、送っている生活もまた、色々な形で制限をかけてくる。だから、ちょっとしたことで綻びが生じ、一気に瓦解に至る。その後に残るのは栄華の跡を残した廃墟。その危険性が頭をよぎって、結局のところ深入りしないように、波打ち際でぱしゃぱしゃ遊んでいるくらいのことしか出来なくなってしまうのだ。

ある意味下手は打たないと言えば下手は打たないのかもしれないけれど、それだといつまで経っても本当のつながりって築けない、とも思う。そろそろ幻想捨てたほうがいいのかしら。