上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

相場感

この辺からちょっと話がずれてきたので別立てで。

しばしば自分のことをちょっと勘違いして良く見てくれる人がいるけれど、そういう人でも、深く関わっていくときっと本質みたいなものは徐々にバレていくんだろうな、という思いが頭から抜けなくって、怖い。とっても、怖い。

結局、私がしていることというのは、「他人がしてもらいたいこと」をしているのではなくって、「世の中一般的に他人がしてもらいたいこと」を自分が勝手にしているのに過ぎない、という意識が抜けない。全部、自分のエゴ。他人が「こういう時にこういう風にしてもらうと嬉しいんだろうな」ということをしているのではなくって、自分が「こういう時にはこういう風に振舞うべきなんだな」とか思ってそれをしているに過ぎないんだと思う。これって表面的に表出している部分は一見同じように見えても、中身は随分と違う。視点が他人じゃなくって、自分の中に留まっている。だからこの「独りよがり感」っていうのが抜けないんだと思うの。時々そういう自分に気がついて、すっごい嫌悪感が募る。この自分の性質は、現時点で許すことが出来ないと思っている。そして、この性質って、表面的に接している人には良く見えても、深く関わってくる(たとえば一緒に暮らすとかそういうレベルで)につれ、そういうのって絶対にわかってくる。模倣能力が割と高い方なので、その模倣を積み重ねた状態で表面上の付き合いではそれを誤魔化すレベルまで持っていけているけれど、いざ本当の自分に触れた時に、そういうところが出てしまって、いつかきっと失望されると思う。だから、おそらくこの自分を赦せるようになるか、この自分を変えられたと思うようになるまでは、いつまで経っても人間関係を作るにおいてこの怖さは抜けないのだと思う。

今年の頭から繰り返し出てきている「正しさ」ですが、この部分の含みもあって。もっと積極的に、そして素直に他人に対して善意を出していくべきかな、と思っている。相場感、とか、空気読む、とか、そういうのを気にせず、自分がやりたいと思ったこと、自分がやるべきだと思ったことをやる。最近、ホント周りに対してどう振舞えばいいのかばかりが行動規範になっていて、自分のやりたいこと、とかそういうのが全く見えてこなくなってしまっていて、自分でも良くないと思っている。人と話している内容も、自分の中では大してそう思っていなくても、この場でこの立場の自分だったらどういうことを言うのが適切かな、なんて内容を無意識に考えて無意識に口にしてしまっている。それを繰り返しているうちに、だんだんと相場感だけで生きるようになってしまっていて、世の中を常に気にしながら生きているようになってしまっている。その要請だけ満たしていればそれでいいや、みたいになってしまっている。確かにそれだと失敗もないし、ソツなく生きていくことは出来るんだけど、いつまで経ってもそのポジションから抜けることは出来ない。イイヒトって、ドウデモイイヒトみたいって浜崎あゆみも言ってた(笑)。そうじゃなくて、もっともっと、自分のやりたいように、というか、思った通りに、素直にやればいいんじゃないのかな。困っている人に対して、「そういう人にはどう振舞えばいいのか」なんて世の中の最適解を考えずに、自分が一番いいと思ったことをすればいい。それが多少間違っていたとしても。

そういうところで優しさが出せるようになってこないと、本当の意味で「真っ当で」「正しい」人間にはなれないんだろうな、と思っていて。外側からだけではなく、内側から出てくるものがそれと同等のレベルに伴って初めて自分から「正しい」と思える人間になれる。外から見てそういうように見えるよう模倣しているだけでは、まだまだ。もちろん「まねぶ」ところから始まるのは大事なんだけど、結局は自分で出していかないといつまで経っても自分から出来るようにはならない。まずは、意識の持ちようから。