上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

年の瀬

今年も年賀状の季節になりました。

昨年戴いた方には基本的に出させていただきますが、住所変更や喪中のお知らせ等ありましたら、メール等にてお知らせいただければ幸いです。また今年私宛に下さる予定のある方、事前にお知らせいただければ1日に届くように送らせていただきます。よろしくお願いします。以上連絡。

毎年何事もなく平穏に過ごせるっていうのは、とても幸せなことだわね。感謝。

今年はほとんどテレビ見てないせいで、年末特番とかに焦らされることも踊らされることもなく平穏に今のところ生きている。特に忘年会の予定も入っていないし(今のところひとつも!)、年末年始も元旦を除き仕事して過ごす予定である。師走だから、っていうばたばたした感じもあまりなくって、特に他の11か月と変わらずに推移している。何もない、というのが幸せと言えば幸せにも思えるし、残念と言えば残念にも思える。別に年の瀬だからって特に何かやるわけではないけれど、部屋の掃除くらいはしておかないといけないのかな、と思っている。今のところ。そんなもん。

暦で見るか、年度で見るかの違いこそあれ、1年なんてあっという間に過ぎていくものである。25の正月は終わり、次迎えるのは26の正月。たぶん大して変わらない状況のまま27の正月を迎える。今と同じようなことを言っている。心境的にはそれほど変わらないつもりでも、その間に1年が経っている、という事実だけは過酷にも突きつけられる。本人的には同じでも、25でその中身なのと27でその中身なのでは外から見たら大きな違いだ。この20代後半の1年は実は結構大きいような気がしている。1年目と2年目の境目の時に感じた「もう後輩が出来るんだ」という実感もあったけれど、そんなのは多分かわいいもので、4年目、そして5年目といくに従い、どんどん相応のものが求められるようになっていく。本当ならば中身もそれに応じてついていかなければならないんだけど、本人にイマイチその実感が伴わないまま、だらだらと無情にも時間だけが過ぎていく。こうした年の変わり目とか、そういう契機でもないとそんなことに気がつかない。なんかそういう区切りとか段差みたいなものが、どんどんなくなっていって、シームレスに年だけ過ぎていく気がする。だからこう感じるのかな。最近この手の焦りが非常に多い。

そうこうしている間にも周りも確実に歳を取っていて、実家に帰るたびに両親はどんどん老けているし、兄貴の子供は順調に成長している。手遅れになった時に気がついても遅いんだって。

心の持ちようなんだけどね。きっと。自分から意図的に変えようとしなければ、いつまで経ってもこのままなんだ。