上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

ものの覚え方

久々に帰省中。久々に3連休が取れたのだけれど、準備不足で旅行に行くのは取りやめた。ちょっと最近時間と頭を費やさなきゃならんことがあって、そこまでの余裕がない。もうちょっとすれば終わるので、そしたら旅行に行こうと思う。とりあえず、今回は実家でぼーっとする予定(それでもいくつかやることはあるのでそうそうのんびりもしていられないのかもしれない)。

最近新入社員が見習いでついて、仕事を教える機会があるのだけれど(まだ何もわからないぺーぺーの俺でいいのかって思うこともあるけど、いい経験になるから有難くやらせてもらっている笑)、自分の個人的なスタンスとして、「自分で体感しなきゃ覚えない」っていうスタンスがある。

自分は本から学んだり参考書から学んだりっていうのがホントに苦手だ。昔から、学校なり大学の授業っていうのは基本的にサボったことがなくって、授業に出てノートを取ることで頭に入れていた。その代わり、他人のノートとか参考書とかっていうのは本当に自分にとって何の役にも立たなくて、何か自分で経験したっていう結びつきがないと、全く自分の実にならないのだった。

それは今になっても変わることがなく、社内の通信教育も一向に進んでないし、何かの資格の勉強とかってのも全くやる気が出ない。ハウツー本とか読むのは今でも苦手だし、新書とか全く読む気がしない。その代わり、自分が体感したことはモノにしてやろう、っていうところがあって、仕事でも1つ難しいケースに当たった時に、それを人に聞くなり自分で調べるなりしてなんとか乗り越えた瞬間、それが初めて自分のものになるのだと思っている。たぶんハウツー本とかも、それを実践する機会があるなら活きるのだと思う。基本的に、実践が理論の半歩先に立っているような気がする。それは人それぞれスタンスが違っていていいと思うし、本とか資格の勉強とかに打ち込める人はホント尊敬する。自分には、それが出来ないだけで。

自分がそんなもんだから、新入社員の指導にもそれが反映されてしまう。前もって色々な知識を教えておくこともできるけれど、それはあまりしない。「こんなことがあるよ」っていう、存在だけ教えておいて、あとの具体的な手順だとか実践的なことは、実際にその状況に当たった時にやりながら教えていく。自分で経験してないことって、口だけであらかじめ詳細に説明してもどうせ覚えてないんだ。頭で理解したことはすぐに忘れてしまう。体で理解すれば覚えている。それは、仕方のないことだと思う。

それを踏まえた上で、基本的に自分の指導スタイルは、初めてのケースだった場合にはそうやって自分がやりながら色々教えるけれど、ある程度出来るようになってきたら後ろから見るだけにして、すぐにアドバイスを与えたくなるのをぐっと堪えて、ミスを犯しそうになったところで初めて声をかけるようにしている。

手順を1つ1つ教えるのは最初は必要だけれど、いざ1回教えた後は、自分で考えて自分でやらないと覚えないんだ。ずっと口出しをしていては、いつまで経ってもその通りにしか動けなくなる。見習い期間が終わって自分1人で放り出されたときに初めて自分が何も出来ないことに気がつくのでは遅いし、それは可哀想だ。だったら、先生がいるときにある程度自分でやらせてみて出来ないことを見出していく方が、よっぽど将来のためになると思う。だから、少しでもいい方法があるなら口出しをしたくなるんだけど、そこはぐっと堪えて本人に気付かせるようにしている。過保護な親のもとで育つと、自分では何もできなくなる。気づいた時にはもう遅い。

バレーの時の指導とは違うぞ、って思った方もいらっしゃるかもしれませんけど、あれとこれとはまた話が違う。バレーは指導する時間も限られているし、人それぞれやり方があっていいものだから、選択肢をたくさん与えて、その中から自分で選びとってもらう方法を選んでいた(つもり)。だから、色々口出しはしたと思うけれど、それを強制したつもりはなかったし、違っていても本人がうまく使えているなら別にいいかもね、というところはあった(肩痛めるとか安定しないとかいうんなら別だけど。まぁ、結局は正しいフォームが一番体に負担もかからないし安定もするのでその一択に近づくのだけれど)。でも、今回のは話が違う。やり方が違えばミスにつながるし、それが責任問題にもつながってくる。自分も困るけれども、他人にも迷惑がかかる話なのだ。だから、目の前の事柄を、正確に自分1人で出来るようにならなければならない。責任の重さの違い。そういう類の技術なり知識なりを伝承させるためには、やっぱり自分で「そうなっている」必然性を「体感する」ことが必要になるのだと思う。演繹法だとそこの意味づけがなんとなく薄くなる気がする。

「若いときの失敗は買ってでもしろ」っていう格言があるけれど、あながち間違いではないと思う。結局、自分が痛い目見ないと覚えないんだ。自分は失敗を避けるように避けるように生きてきたふしがあるけれど、そのせいで身につけられていないことっていうのももちろんたくさんあるのだと思う。だから、今年の新入社員にも、色々なケースに当たって、色々な対応力を身につけてほしい。ある意味、運みたいなところはあるけどね。「当たるか、当たらないか」。確率論では収まらない何かがそこにはある気がする。厳しいケースに当たらないとそれはそれで楽なのだけれど、自分の経験には結びつかない。どっちを運と取るか、は人それぞれだと思うけど(笑)。

明日は久々にトーキョーで買い物行ってこよっと(笑)。