上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

次の休みは…

社会人になってから時間の早さが変わったように感じたのはちょうど1年前だった。それから、あっという間に1年が経過した。

思うに、仕事を始めると「次の休み」を目指して生きるようになるから、時間が経つのがあっという間に感じるのだと思う。

学生時代はなんだかんだ言って、毎日がイベントの連続だった。プライベートの時間、に重きを置くならば、学校帰りにふらっとどこかに行こうと思えば行けたし、誰かと会おうと思えばすぐ会える環境にあった。いうなれば、特別な日々、を作ろうと思えば、毎日がそうなるチャンスに満ち溢れていた、とも言える。特に休みまで待たなくても、思い立ったら即やりたいことがやれた。

しかし、社会にひとたび出れば、そこには月曜から金曜まで、拘束時間の縛りが存在する(一般的には)。基本的にプライベートの時間と言えば、自由に使える時間は土日のみになる。ちょっと仕事帰りにアフターファイブ、なんて環境にいるわけでもなければ、なおさら、いっそう。すると、日々の過ごし方は必然的に刹那的になる。目の前の1日をこなし、目の前の1日をこなし、待ち望んでいた休日を迎える。そんな日々の過ごし方をしていれば必然的に、時の過ぎるのはあっというまに感じることだろう。なんせ、今までは1日1日を生きていたのが、1週間単位で生きるようになるんだから。5日間の「消化すべき日」と、そのあとに2日待っている「休日」という考え方。

最近生活の送り方が凄く刹那的になっている、と感じていて、目的意識もなくただ目の前の1日1日を過ごしているような気がしている。そんなとき、ふと、こんなことを思った。

自分は今土日休みでないけれど、結局置かれている状況は、同じようなものだ。次の休みには何をしよう、たまっていた私用を片付けよう、ちょっと買い物をしよう、とか考えながら仕事の日を過ごし、休みなんてそんなことをしていたらあっという間に終わっていく。それの繰り返し。5勤2休のスパンであるか、3勤1休のスパンであるかの違いだけで。

そりゃあ、あっという間に1年も過ぎようものである。

日々が充実していない、というわけではない。それなりにやることもあるし、それなりに遊んでもいる。ただ、今の自分があまりに刹那的になりすぎていて、長期的に見たときに何も変化がない。それが、とても怖い。ただ3日後、5日後の休みだけを見て過ごし、その休みが終わればまた次の休みを見て過ごし。その先には、いつまでたっても同じ立ち位置にいる自分しかいない。そして、振り返ったときに、そうやって過ごしてきた時間の量はすぐに膨大な量に達しているのである。

結局は回し車を同じ場所で回し続けているだけなのかもしれない。他の人の日記を見て、ふと自分を振り返ってみると、たまにそんなことを思う。思うだけじゃ、だめなんだけど。