上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

理想と現実

たまには真面目なこと書きます。

自分のやりたいことをやれなくなった状況下で、あなたはどんなことを考えるのでしょうか。

最初の配属で希望していた部門に配属されず、今後の一生を自分の希望とは違う部門で過ごさなければならなくなってしまった同期がいます。まぁ前からその兆候はあったけれど、入社して1年が経ち、結構最近それで悩んでいるみたいな話を聞きました。当然その留保はあったうえで会社に入ったのでしょうけれども、やはり今後二度と、自分のやりたかった仕事が出来ない、というのは辛い状況だともいえます。いま自分がしなければならない仕事に対してモチベーションが出ないのも当然と言えば当然、と言える。彼の系統には40人くらい同期がいるのですが、自分の希望と違う配属になってしまったのは彼を含め2人だけ、なのです。「自分だけ何故…」という感情を抱いてしまっている、というような話も聞きます。近くに圧倒的大多数の「やりたいことをやれている人たち」がいる状況は、とてもつらい状況であると言えるでしょう。「自分がなれるはずだった可能性」が、すぐそばに見えているからこそ。

なんとかしてあげたい、という思いはあります。実家を離れた地で寮生活をしながら、その中で自分の希望にはそぐわない仕事をやり続けなければならない、という生活は、相当ストレスのたまるものだと思う。ここで自分に出来ることは、話を聞くことだとか、遊びに行って気分転換を図ることくらいしか出来ないのだと思います。彼の環境は、私たちには変えられないのだから。けれども、彼にとっては、私も、そういった「あっち側の人間(=自分のやりたいことをやれている人間)」の側に見えてしまっているであろう可能性も想像がつくので、自分から何かアクションを起こすにも、何か「それが向こうにとってどういう風に映るのかな」と思ってしまいます。このような、自分の中で一度生まれて動き出してしまった感情って、制御するのは非常に難しい。そして、心の中に巣食ったそのような引っかかりは、雪だるまのように大きくなっていき次第に心を蝕んでいく。彼はきっと今、そのサイクルの中に巻き込まれてしまっているのだと思います。何とか彼にとって良い形でサポートが出来れば、と思うのだけれど、おそらく今の彼の周りには、自分で作り出してしまった高い壁が出来ているのでしょう。表面的には、普通にふるまっているように見える、けれど。そこに対して私たちが出来るのは、弾かれても弾かれても、辛抱強く地道に、そして慎重にアプローチを重ねていくことしかないのかもしれない。

この問題は、結局は、彼が自分の中で問題に対して決着をつけなければならないことなのでしょう。私も自分の生活を送る上で常々念頭に置いていることだけれど(ある意味私自身の人生訓のようなものとも言える)、結局一番大切なのは自分自身の納得であり、自分自身が納得しているか否かが自分の行動の是非を決める。そして、納得できない事柄を自分自身が納得できるように変えるには、自分自身の考え方を改めるか、自分自身の環境を変えるように努力するかのどちらかしかない。確かに外的要因というのはあるけれど、それは誰にも平等に訪れる受け入れるしかない仕方のないことなのであって、それのせいにしていても先には進めない。そこで周りの環境を変えるよう努力し道を切り開くのも1つ、周りの環境に合わせて自分を変えるのもまた1つだけれど、結局はバランスを取ってその間のどこかに自分を落ち着けるしかない。

自分には昔から「やりたいこと」を明確にせず、常に留保する癖がついてしまっていて、「○○はやってみたいけれど、やれなくても別にいいかな」みたいな、逃げの気持ちを最初から持っている人間だと思っています。上の例で言うならば、環境に合わせて自分を変える側に針が振れている人間、と言えるのかもしれない。こういった姿勢は、自己保身、という点で見れば、ある程度の効力を発揮するものです。自分のやりたいことが出来なかったときにも、さして傷つかずに済む。けれども、前に進む推進力には欠ける面がある。明確な目標を掲げ、それに向かって邁進するタイプの人は、困難にぶつかったときに自分をそこに合わせて変えようとせず、周りの環境を何とかして変えようとします。社会を変える力、はそのタイプの人の方が強く持っているし、その部分が自分に欠けていることを私は強く自覚しています。こんなんじゃ駄目だな、って思うことも多々ある。常に受け身な思考になってしまうことが多いので、あまりビジネス向きな性格でないのかもしれない、と思うこともある。そんな自分を変えたくなる時はこれまでにも多々あったし、今でもその思いは強く持っています。何より、ズルくて、カッコ悪いじゃん。

けれども一方で、自分を変えることが出来ない人には、どうしようもない八方ふさがりな状況が生まれてしまうこともある。それが、今回の例なのかもしれません。自分のやりたいことが強くあるけれど、環境的に、もう、それは許されない。どれだけ努力しても、今の自分の置かれている立場では、その先の人生を変えることは出来ない。ここで取れる選択肢は、それでも自分の環境を変えるために努力すること、たとえば、猛烈な努力を重ねて昇進し、多大な権限を持った上で自分の実力で希望を通してみるとか、転職して自分の希望の職に就くとか、そういう類のことが1つ。そしてもう1つ、今の仕事に合わせて自分を変えるかのどちらかです。言うのは簡単だけれど、どちらも非常に辛い道が待っているのだと思います。けれども、結局は、自分が自分で乗り越えなければならないところなのだと思います。今は非常に辛いかもしれないけれど、負けずに、何とか落とし所を見つけてほしい。

おそらく、自分のこの性格も、それの繰り返しで培われたものなのだと思います。人生というのは、こういう落とし所を見つける作業の繰り返しなのだと思う。所与の環境の中で、自分に出来る能力の中で、自分の理想と現状の落とし所を探っていく作業の繰り返し。時には理想を曲げなければならないこともあるけれど、理想を強く持っていれば、環境、社会を変えていけることもある。人生の目標、みたいな究極の問題は、まだ私には答えが見つかっていないけれど、おそらく、後者の側のどこかに、人生の目標みたいなものはあるべきなのかな、と思っているのですけれど。簡単に自分を合わせず、芯みたいなものを強く持てる、しゃんと立った人間になりたいと思っています。