優しさ
卑屈で思い出した。
たまたまさっき遅く帰ってきてメシ食いながら食堂でつけたテレビでやってた「曲げられない女」で、他人に対する優しさを全て「自分のプライドのため」と言っていた人がいた。結局は誰かのための優しさも、すべて自分のためであると。
僕もその考えは昔から頭から抜けない。結局、誰かのために何かしているつもりでも、結局それって自分に返ってくることを考えながらしているんじゃないの?常に誰かに見られながら行動することを念頭に置きながら、意識的にせよ無意識にせよ自分の行動を組み立てているんじゃないの??多かれ少なかれ。
結局そう言った人はヒロインに否定されてたけどね。けど、現実的には、それを否定できるほどの強い人って、そうそういるもんじゃないよ。世の中、そうそう綺麗事だけでは出来ていない。
ごく稀に、そういうことを全く考えずに善行をする人がいる。そういう人がいるのは事実なのだと思う。いていいと思う。けれども、残念ながらそういう人には自分は絶対になれないと思うし、そういう人の存在を残念ながら疑ってかかってしまうことがある。何故か信じられない。なんだかそこに奇妙な違和感を感じてしまう。自分とは異世界の人だと思ってしまう。残念ながら。
これも卑屈な考え方なんでしょうけれども。完全にそれを肯定したくもないし、けれども、それを完全に否定することも僕には出来ない。
まだまだひねくれてますね。でも、こっちのほうが真っ当なんだと思うぜ。