上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

雪国

「雪国」を読んだ。川端康成

こないだ同期と焼肉食いに行った帰りに同期の部屋になだれ込んで、借りてきた1冊。若干、予習的な意味合いも込めて。

この本読んで自分に照らしてみたりして、色々と思うところもあったけれど、納得したところもあれば納得していない部分もある。本読むときにそれとなく自分に照らしてみてしまうのは昔からの癖だけれど、自分の感性に取り込めるところは取り込みたいじゃないか。

こういう生き方なぁ。そういう生き方が存在することは認めるけれど、積極的に認めたくはない。納得できるけれど肯定したくない。そんな感じ。けれどもそこにはきっとどうしようもなさ、というか、そうでしかいられないようなある種の「仕方なさ」みたいなのも絡んでいるんだろうなぁ…。そのある種の「仕方なさ」があるからこそ、人間のこの世はきっとうまくいかないのであり、けれどもそこにこの世の面白さみたいなものも見出されるのかもしれない。そこがきっと複雑なドラマをこれまでにいくつも生み出してきているでしょうね。そういう種類の「仕方なさ」。「それはそういうものなんだ」みたいな。それを実にうまく描き出しているような気がする。

理解しているところもあるし理解しきれていないと思うところもあるけれど、本ってそういうもんだと思う。あくまで解釈の問題だし。俺はこの本からそれを受け取った(とりあえず現段階で)。また何回か読めば別のものが見えてくるかもしれないし、そのときの気分によってもそれは変わるでしょう。

あと、とりあえず、「一般的に言われている」解釈を受け売りするわけじゃないけれど、川端康成の描写力はさすがというのは思った。多くの人が言うだけあるけれど、それは確かなのかな、と思った。もちろん、それだけじゃないけれど。深夜0時過ぎに読んでて、ぞくぞくしてきた。鄙びた温泉街の冬の静謐な感じがすげー溢れてる気がする。これ深雪降り積む夜にもっかい読もっと。

そんでもって、久々に「解説」っぽい解説がついている本を読んだ気がする(最近の本の解説って、なんだか知り合い同士が馴れ合いで感想文書いているみたいなのが多い気がして。それが悪いとは言わないけれど)。その解説をまた素直に受け入れるわけじゃないけれど、確かにそう言われてみればそんな気もする。けど、そんなん解説読む前にわかってろよ、って話だといつも思うんだけどね。解説読んだ時点でわかっているようじゃ、結局読みが浅いんだと思う。

何が言いたいんだかだんだんわかんなくなってきちゃったけど、とりあえず、雪国を読んで色々と思うところがありました、って話。色々勘違いしてる部分もあるんだろうけど。その解釈の投げ方もうまいかもね。イチイチ詳しく書いてくれないし。