上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

進歩の図り方

今日はほんのちょいとだけ仕事で進歩した気がしました。というより、今日の一歩を実感したのではなくて、小さな一歩の積み重ねによりやっと一定のレベルに達しかけたのだなという実感につながった、という話ですが。

けれど、一方で、この一歩が果たしてどれくらいの大きさなのかということを考えたときに、首を傾げてしまうのも事実です。もちろん違う業界の人びとと同じモノサシで図ろうというのは、困難かつあまり意味のない話であると言うことも出来ますが、どうにもこうにも今自分のいる立場での一歩は他の人びとが感じている一歩、あるいは一歩まで到達していない半歩よりでさえも、比較してとても小さなものであるように感じるのも事実。きっと私がこうやって些細な進歩、ちっぽけな成長を喜んでいる他方で、もっともっと困難な課題に取り組みながら、見えない進歩、表れない結果を求めてもがき続けている人たちがいる。私が100m走のタイムが1秒縮んだと喜んだとして、世界のどこかのトラックの中には、0.01秒を縮めるのに苦しんでいる陸上選手がいるわけです。1秒縮めたことを喜んでいても、それよりもずっと高い高いレベルで苦しんでいる人たちに比べたら、そんなのは屁でもないわけですよね。そして、これは同じ「走る」という点に関して上には上がいることの喩えになりますが、さらに言うなら、「速さ」というモノサシで見たときには、今度は、車の開発、飛行機の開発をしている人から見れば、100mを人が足を使って走るのに要する時間を1秒縮める程度の短縮など(時速にしてせいぜい1,2kmの違いでしょう)全く意味がないわけです。機構が違えば、もっともっと、ずっと凄い世界での勝負になっている。「人が走る」という土俵を去って「速さ」という土俵に立ってみれば、人の足が速くなった程度の進歩は全く役に立たないわけですね。人の足が速くなったところで、今更郵便物が速く届くことにはならないわけだ。郵便物を速く届けるためには、足を速くしてみようと頑張ったところでその頑張りは無駄な努力。それよりは、少しでもトラックが速く走れるようにすることを考えるべきなのです。

昔から、自分が些細なことで壁を感じているときに、自分よりはるか高いレベルで壁を感じている人がいることに気がついて、自分の悩みがほんの小さなものだと感じることがありますが、そうやってふと周りを見渡してみることは大事なのだと思います。この程度で満足するのではなく、先を見据え、周りを見据え、自分のモノサシではなくもっともっと大きなモノサシで物事を図るようにしたいものです。

言うてもまぁ、与えられた土俵の中で精一杯やることも、それはそれでまずは前提として大事なのですけれどもね。それすら出来ない状態では全く意味がない。他者比較もそれはそれで大事だけれど、自分のいる土俵の中で着実に進歩するのも大事。周りばかり見て自分はダメだと思っていてもキリがないので、たまにはそうやって自分の成長を認めてやることも必要なのだとは思います。一応、自分の小さなモノサシの中でも、前に進んだことは確かなのだろうからね。そのあたりは、バランスだと思います。

慢心が失敗を生むのは間違いのない事実なので、ここに慢心することなく、常に謙虚な気持ちを持って、また明日からを過ごしていく所存です。ホント、少しでも調子乗るといつミスすっかわからないかんね…(笑)。