富山城址で
夜の20時過ぎ、富山城址前の暗い夜道を歩いてたら、ベンチでタバコをふかしているおばちゃんに呼び止められた。「お兄さん、ちょっと」
聞くと、公衆電話に財布を忘れてお金を貸してほしい、とのこと。
困っているはずなのにタバコをふかす余裕があるのかな、とか、「どちらまで帰られるんですか??」と聞いたら「引っ越してきたばかりで」とか何とか言ってごにょごにょしてたのとか、いろいろと不審な点はあるけれども、もし自分がそんな状況下におかれていて疑われたら悲しいので、1000円渡した。
手元には「帰ったら絶対ここに電話して電話と住所を教えてね」と言ってメモさせられた携帯電話の電話番号がある。返さなくていいですと言ったのだけれど、「いや、助けてもらったのだからこういうのは絶対返さないといけない」と言い張って、自分のケータイを取り出してこれをメモってくれと言われたのでメモったものである。ケータイがあるのに公衆電話に財布を忘れてくるのかな、とか、メールアドレスが書いてなかったけれどホントにそれがプロフィール画面だったのかな、とか疑い出せばキリがないけれど、メモるだけメモって帰ってきた。
お気をつけてお帰りください、に対するおばちゃんの別れ際のセリフは、「ありがとうね、絶対連絡してね」だった。
思えば、前にもこんなことがあった。東横線沿線で貸した、500円。
普通に小奇麗な身なりをして、普通に良い時計をして、普通にポシェットを提げたおばちゃんだった。もしかしたら本当なのかもしれないけれど、電話はかけないことにする。電話をかけなければ、それは僕の中で真であり続けるのだから。それが本当に真であるか偽であるのかは別として。
善意が善意の連鎖を生むことを願う。これが善なのか、善の面を被った偽善なのかは果たしてわからないけれど。善意というものは、投げっぱなしでよい。あくまで受け取った側が、それをどう感じ、どう扱うかを決め、行動するものなのだから。結果として、その人との1対1の関係だけでなく、善意が循環する世の中であってほしい。そういうものだと思っている。
性悪説の留保を含み持ったうえでの敢えての性善説。めんどくさいね。
というわけで、富山に来ています。
北陸は東京からだと行きづらいので、新潟にいるうちに行っておこうと思っていたのだけれど。
たまたま連休が日曜と重なったので、ふと思い立ってメールを1本打って、行くことにしてしまいました。毎回のことながら、思いつきで行動しています。最近モバイルPCとイーモバイルが導入されたため、さらにそれが加速した。今回は行きの電車の中で観光地とプランを定め、夕方移動中の電車の中で2時間後に泊まるその日の宿を取るというギリギリっぷり。けどまぁ、便利な世の中になったものですね。それでも十分足りるんだもの。地図とか営業時間とかも普通に出てくるし、ホテルのネット予約でポイント割引も使えるし。
けれども、人と会う時には、もう少し早めに連絡するべきですね。直前まで自分が暇かどうか予定がわからなかったとはいえ。それは反省します。今日は大学時代のサークルの同期に地元を1日案内してもらったのだけれど、本当に良くしてもらいました。おかげで、自分1人で行くより全然密度の濃い観光ができた。本当に、ありがとうございました。僕も、新潟に関しては自信を持って案内できるよう、いろいろなところを知っておく必要があると思いました。もう、だいぶ知識はついてきたけれど、もっともっと知っておいたほうが良いのは間違いない。今回受けた有り余るほどの善意を、いつか、そういう形でまた自分も他者に還元していければ。
旅行先から地元の人@東京と電話する企画が4回目を数えた。地味に内輪ネタをしてみるのが楽しい。けれど、そろそろ旅行先のネタが尽きてきたころか…。
実るほど 首を垂れる 稲穂かな
真っ青に晴れ渡った空、白波もなく穏やかな海、黄金色に広がる田んぼ。
車窓に広がる景色は素晴らしいものがあります。良い季節ですね。思いつきでも、来てよかった。日本には、まだまだ僕の知らない土地があります。積極的に、足を伸ばしたい。