上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

逃避

某氏のコメント欄から展開しますが、僕の中では、間違いなくブログを書くという行為は最近逃避行為になりつつあります(笑)。

逃避と娯楽の関係

昔から書いてきたけれど、僕にとっては、何か片付いていない課題がある場合、「その課題をやる」以外のことは全て逃避行為になってしまうのですよ、ははは。課題を置いといてテレビ見るのだって逃避ならば、課題をやらずにこうやってブログを書くのだって逃避になってしまうわけです。最近は「気分転換」っていう前向きな捉え方が出来るようになってきたけれど(^^;)。それでも逃避というレッテルの上に無理やり重ね張りしたレッテルに過ぎないのだ、多分。剥がせばそこには「逃避」のレッテルが張り付いていると思う。強力な粘着剤によって。なんだろう、強迫観念みたいなものが働いているのか知らないけれど。

境界の切り分け

ちょっぴり話が派生するけど、将来の職に関しては、「家に仕事は絶対に持って帰らない」ようにしたいし、それで済むようにしたい。会社で残業は別に本人的には全然厭わないのだ(多分)。家庭を持ったり、なんか会社以外のところの比重が結構大きくなってきたらそれはそれとの兼ね合いがあるからまた話は変わってくるけれど、少なくとも自分自身に関する限りにおいては、会社に残って色々やる分には多分そこまで問題はない。むしろ、家にまで課題を持って帰りたくない、という方が大きいかもしれない。それをしだすと、境界がなくなってしまうのだ。こうやって逃避と娯楽の切り離しが苦手な人間だから、せめてそうやって物理的に切り分けたいのだ。そうすれば、家で思う存分「娯楽」にふけることができるし、家が「逃避」にならずに済む。家にまで仕事をもって帰ってしまうと、またこうして「逃避」の影がちらついて思う存分楽しめないから、家にいる人に迷惑をかけることになってしまうだろうし、家ではやっぱり思う存分腑抜けたいじゃないですか(笑)。

学問っていうのはそういう境界の切り分けが難しいからニガテ意識を持っているなのだろうね、きっと。青天井である以上、基本的に家でやるものだし。授業は好きだったけど、予習復習は嫌いだったのだ。そんなわけで、最近は「図書館にいるいない」で擬似的にonoffを作っているけれど、図書館がネットがつながる以上、ここにこうした逃避行為が紛れ込むようになっている…(現在図書館から更新中)。

でも結局は

まぁ、将来的にも、結局は会社でやる仕事以外の勉強もやらなきゃいけないという事実には変わりはないのだろうけれどもね…(笑)。切り分けのニガテさは少しは克服しなきゃなんないのかもしれない。まぁ、昔よりかはだいぶ割り切れるようにはなってきましたけれども。なにより、自分はいいけど人に迷惑かけるしね。学んだはずじゃないか。そうじゃなきゃ最近こんなに遊んでられねーさ(笑)。目的を設定してそれを超えるという行為との兼ね合いとかそういう話もこれに近いかもしれない。