上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

料理・洗濯・掃除

料理・洗濯・掃除、人によって好みは違うっていう話があります。

掃除>洗濯>料理

おそらく、僕の場合は、「掃除>洗濯>料理」なんだと思います。

終わりが見える見えないの違いなのかなぁ、とか、自分のためと誰かのためとではまた違うのかなぁ、とか、1人暮らしと実家暮らしでまた違うのかなぁ、とか色々考えましたが、結局は好みの問題なのかなぁ、と。

ちなみにうちの母親は、僕と全く逆の順序らしいです。掃除って、生産的でないからあまり好きではないらしい。うん、言いたいことはわかる。

掃除とか洗濯って、基本的に、マイナスのものをゼロに戻す行為な気がするけど、料理って多分、ゼロをプラスにする行為なんでしょうね。それを面白いと感じる人は、多分料理が好きなのかもしれない。

僕の場合は、やっぱ、料理ってめんどくさいよなぁ、と、思ってしまうんですよねぇ。それって多分、食に関心があんまないからだと思う(笑)。僕自身、色々なものを作るのは楽しいし、割と好きなんだと思う。けど、僕の場合そこまで食べることが好きなわけでもないので、料理にはその方向性が向かわないのかもしれません(笑)。今日昼にも、またホットケーキを焼いていて思いました。ホットケーキなんて、粉と卵と牛乳を混ぜてただ焼くだけなのにね(笑)。確かに焼いてるときは楽しいんだけど、それを始めるまでが億劫で…。なんだろう、代替手段があるから、わざわざ作んなくてもいいじゃん、と感じてしまうのかなぁ。買ってきたほうが楽だし、みたいな。よく、「お菓子作りが趣味です」っていう人がいるけれど、すげえなあ、と思ってしまう。まぁ、それは、食べるのが好きだから趣味になってるんだろうけど(笑)。

確かに、インスタントコーヒーも、一手間加えるとちょっとおいしくなるんですよねぇ。ただお湯を沸かして注いでミルクを足すよりも、ちょっと鍋で牛乳を温めて、それを入れたほうがおいしくなるのは事実。今日の昼もそうやって作ったけど、確かにそっちのほうがおいしいんだよね。やった後にはそう思う。けど、その一手間が、料理の場合にはなんとなく面倒くさく感じてしまって、なかなか踏み出せない。

それと、もう1つ、重要な要素として、自分で食うから、っていうのもあるんでしょうね。どうせ自分が食べるんだから、別に手の込んだものを作って食べる必要がないじゃん、って思ってしまうのかもしれない。食にあんま関心がないし、別に自分にあんま良いものを食べさせたいとも思わないから(笑)。誰か別の人に対して作る場合には違うのかしら。多分、違うんだと思います。うん。一手間が喜びにつながることが大きくなると思うし。

一方、掃除と洗濯って、なんとなく似てますよね。

掃除も洗濯も、たぶん必然性に駆られてやるんですよね。「そろそろ部屋が汚くなってきたな」とか、「最近掃除してないな」って思ったときに、時間があれば掃除をする、と。洗濯も、そういう必然性でやんなきゃいけない。僕はきっと、そういう、やらなければならないことをきっちりとすることに喜びを見出すMっ気のある人間なんでしょう(笑)。だから、掃除とか洗濯とかのほうが好きなのかも。けど、掃除のほうが、より自分の裁量が活きる部分は大きいんでしょうね。洗濯って、あんまり自分でどうこうできる要素は少ないけれど、掃除は、自分の考え次第で色々やることが出てくる。掃除は、何か、やってるうちにだんだん楽しくなってくるんですよね。ちょっと床の上だけ綺麗にしよう、と思ったところが、気づいたら棚の整理とかしてたりなんてこともありますし。最低限のことさえやればいいところを、もうちょっと頑張ってやってみよう、っていうか。料理より掃除のほうがそれを強く感じるのはなぜだろう。うーん。わからん(笑)。やっぱり関心の差か、あるいはMっ気の差か(^^;)。

ということを考えると、僕の場合は、「関心・必然性・面倒くささ」あたりの兼ね合いで「掃除>洗濯>料理」の順になっているのかもしれないですね。ホントは他にも色々要素はあるのかもしれないけれど。まぁ、結局は好みの問題ですかね。やっぱり(^^;)。あるいは、料理だって、本格的にやってないからその面白さがわかってないだけで、やりだしたら面白いと感じるのかもしれないし。

あー、なんか、もうちょっと整理して書けばもっとわかりやすくなるんだろうけどな。うーん。ごちゃごちゃしたまんまだ。残念。

余談

これら3つ全てがどれも好きな人っているのかしら。いたら理想的だけど(笑)。けど、自分が好きなものと、相手に求めるものって違うんだと思います。僕の場合は、求めるとしたら、「料理>掃除>洗濯」なのかもしれないなぁ。まぁ、そんなに強く思うわけじゃなくって、いずれにせよ、どれも最低限できれば別にいいかな、って気はしますけれど(笑)。